あたたかくなり、野草の成長がわたしたちの暮らしに多様性をもたらしてくれています。
野草が茂る場所は多くの生きものたちの暮らす場となり、自然の生命の循環が地球環境の維持を助けてくれています。
野草が成長するとわたしたちは、野草を何らかの理由で機会を使い刈り始めます。
生態系を破壊し死の雨となる除草剤を使わず、野草を刈ることはいいと思いますが、刈る前にそこで暮らしている生きものたちのことを想像できるといいなと思いました。
たとえば、野草のなかで卵を温めている母トリ(キジなど)がいるかもしれません。
子ウサギや子シカなどが草むらのなかで母の帰りをジッと身をひそめて待っているかもしれません。
数年前、草刈機で卵を温めている母キジの体を切ってしまったという話を聞きました。
母親はどれだけ怖かったことでしょうか・・・。
人間から距離を取り暮らしている野生動物たちにとって、自分に接近してくる人間や機械音は恐怖そのもので、すぐに逃げ出かったにちがいありません。
しかし、大事な卵(子ども)を残していくことはできなかったり、恐怖が大きすぎ動けなくなっていたり・・・?
動物は危機や恐怖を感じると反射的にそれから逃れる動きをしますが、母キジさんは人間が近くにいるのを知りながら動かなかったということは、卵を守っていたかったのだと・・・。
まさか、機械で体を切断されるとは思ってなかったでしょう・・・。
母親の体、体温で守られている子どもたちは、わたしたちの活動によって一瞬に母親を失いました。
以前からトリを育てている友だちが卵を引き取ったそうですが、孵化したものの、産まれてすぐに死んでしまったと言っていました。
元気よく動いていたのにヒナから少し離れ戻るとパッタっと倒れていたそうです。
友だちは育てる難しさなどを語ってくれていました。
知識はもちろん必要だか、やはり愛情、それも真の愛情を持ち育てることが成長へとつながると思った、と言っていました。
友だちは自分の愛情が足りなかったと思っているのだと思いましたが、ヒナを死を悲しんでいる友だちにかける適切な言葉がみつからず、わたしはうなずくしかできなかったです。
北海道では野ウサギが草刈り機の犠牲になることがよくあるそうです。
脚を切断され、人によって病院へ運び込まれるウサギは治療を受け、保護されるかもしれませんが、そうでないウサギは痛みと苦しみでひとり死んでゆくのだと・・・。
わたしたちがここに生まれ生きているということは、地球の自然環境や地球で生きる他の生きものたちと共存するということなのですが、わたしたちはわたしたちのことしか考えられていないことが多くあり、地球で生きていることを忘れがちではないかなと思います・・・。
そこで生きる生きものたちのそれぞれ存在は地球環境の一部であり、自然環境と共に生きものたちの存在に対し配慮できるといいなと思いました。
草刈りを行う理由にさまざまなことがあげられていますが、その多くがわたしたち都合のものであり、なかには理解しがたいものもあります。
わたしたちは何を優先するのかはそれぞれですが、自分の考えや好みなどとは別に優先しなければならないこともあると思います。
行っていることが、他の者への気遣いや配慮に乏しいということは多くあり、わたしたち人間との間でも言えることと思います。
わたしたちの活動、わたしの行動で他の者に苦しみを与えることのないよう、出来る限りの想像をしたり、論理的に考えたりして避けていきたいなと思います。
野草を刈らずに自然の循環を暮らしに取り入れることができるといいなと思いますが、草刈りが必要なこともあるので、せめて野草を刈る前はそこにいる生きものたちを他の場所へ避難してもらえることができるといいなと思いました。
我が家は草刈りが必要になった場合、草の中を確認して昆虫など小さな生きものたちに移動をしてもらってからカマで刈っています。
カマ、とても便利で上手く刈るコツがあり、あれこれ工夫して使うのがたのしいです。
草刈りは昆虫たちに移動してもらうことになるので、申し訳ない気持ちになります。
それぞれ、その場所を気に入り、個々の時間をすごしていると思うので。
巣や卵を見つけたときはその個所は現状維持にしています。
他の生きものたちへの気遣いや配慮を忘れず、わたしにできること、これからもいろいろと考えながら暮らしていきたいです。
生きものたちへ思いやりクリックをお願いします。
↓