昨日は夜に実家の家族のひとりと話していました。

話の内容から混乱をし、思考の整理ができなかったため記事を書くのをやめました。

 

他の人に何かを伝えることはとても難しいことで、それぞれの状況を反映し、個々の捉え方や感じることは異なると思います。

 

昨日、家族と話をしたのは、わたしが家族にアドバイスをもらいたかったからですが、別の話になり、その内容から自分自身を見直そうと思いました。

 

わたしが動物を食べない選択をしたことに対し、周りは「食べないといけないよ」「肉たべないのはおかしい」と言われることがありますが、わたしも自分と異なる人に同じことをしていないかと考えていました。

 

わたしは動物たちの苦痛を知り、肉を食べない選択をしました。

そして、畜産業のシステムによる地球の自然環境破壊による地球温暖化も知り、より畜産や自然環境に関心を持ちました。

畜産業を知ると、そこで働く作業をする人たちの状況も見えてきて、可能な限り搾取に加担しない生き方をしたいと思いました。

 

だけど、そのように生きたいと思ったのはわたしの選択で、わたしと同じことを知りわたしとは異なる選択をする、その個々の違いをわたしはどのように思っているのかと。

 

わたしは、実際に起こっていることや行われていることからどのような問題が発生しているかを知って、「今のままではいけない」と思いましたが、そう思わない人もいるのは不思議でないことです。

 

それぞれ違うので。

 

動物の感情や感覚、畜産による影響などの新たな情報を提供し、その後はそれぞれの感じたことからの判断になり、その選択はその本人の生き方として尊重しなくてはいけないと思いました。

 

しかし、人間が他の者に与える苦しみ痛み悲しむことの事実は棚に上げる事はできず、差し迫った地球温暖化の問題もあります。

個々がどのような内容を優先し判断するのか・・・。

 

 

現在、世界では動物性を摂取しない人口は増加し、市場は変わり始めていますが、日本では以前に比べ増えてきているものの少数です。

 

少数で思い出したのが、犬育ての件です。

わたしが犬に対し、しつけやトレーニングを行わなくなると、まわりから「しつけしないといけない!甘やかせてはいけない」など、とてもよく言われていました。

 

大多数の人が行っていることと違うことをすることはこういうことなのだな、と感じた時でした。

疎外感がありましたが、犬たちと一緒だったので新たな日々に前向きでした。

 

しつけやトレーニングをせず、犬という一個犬を育てることを家族に説明しても理解を得ることはできず、わたしは涙がでる日もありました。

その涙は、犬たちの気持ちを考えないことは、犬たちが苦しみ続けるという涙と、犬を尊重することの心地よさ(わたしたちも楽になる)を家族と共有できない悲しさ、悔しさのような涙でした。

 

自身では、今まで知らずにいたそれぞれにとてもよい生き方を知り、それを犬と家族で共有したかったのですが、それはわたしの考えであり、家族にとってはそうは思わない、もしくはしたくないことでした。

 

ここで、わたしにとって「よい」と感じたことが他の者にとっては「そうではない」ということ。

そして、わたしが家族に対し「一緒に楽しく暮らせるといいな、暮らしたい」という感情はわたしが勝手にそう思っているだけであり、家族の個々には個々によい暮らしがあるということ。

このことは、犬育てで常に言っていることだと。

わたしは以前犬たちに対して「しあわせになってほしい」「しあわせを感じて生きてほしい」と思っていました。

しかし、そう思うことはわたしが犬にそれを求めていることになり、犬のそれぞれを尊重していないと気付きました。

 

家族と亀裂がはしると、よく「家族なんだから」や「血が繋がってるんだから」と言い、話し合うことや時間が亀裂を修復してくれるような話を聞きます。

 

しかし、親子や兄妹であれ、個人は個人です。

親の所有物ではないです。

そして、血が繋がっていることだけが家族ではないです。

血の繋がりは関係なく、関係性が大事であると思います。

家族の関係が抑圧する側とされる側であれば、いくら話合っても、どれだけの長い年月が過ぎても亀裂の修復はされることなく、抑圧され続けている方は苦しみ続けます。

家族で密な関わりであっても、個人は個人として受け入れ認めるといった個人の尊厳を守ることだと思いました。

 

さまざまなことに言えますが、今まで行われてきていることが常識として当然であり、正しいということはなく、大多数の行っていることが必ずしも正しいとは限らないでしょう。

常識は常に見直され、新たに生まれます。

科学的根拠に基づき、古いデーターや考え方は過去のものになります。

 

少数の意見は大多数に否定され、排除されやすいですが、どの時代でも起ことはよく似ているのだと思いました。

 

ただ、いつも思うのは、異なる考えの者たちを排除することなく、科学的知見に目を向け現状を正確に知った上でその考えや行動はどうか、ということの話ができるといいなと思っています。

 

しかし、人にとってそれがとても難しいことなのだと思いました。

 

 

 

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