今日は静かに時間がすぎています。

薬局へ行くため車を出すと、玄関先に鹿たちにとフレッシュ葉っぱが置かれてありました。

同居動物たちのことをいつも気にかけてくれている方からだとすぐにわかりました。

お心使いにうれしく感じています。

 

わたしは昔、ドックトレーナーを目指していたのでトレーナーの方と一緒にさまざまな場へ行き、犬の同居人の方の話を聞いたり、アドバイスを行ったりしていました。

わたしにとってその経験はいろんな意味で貴重であったと思っています。

 

アドバイスをおこなうことで、同居人の方から「先生」と呼ばれることが度々ありましたが、わたしはその度に不思議な感覚になり、「○○と言います」と自己紹介をし、名前で呼んでもらえるように伝えていました。

 

日頃、先生と呼ばれている方にわたしが「先生~」と言うのはまったく違和感がないのに、どうして、自分に言われると不思議な感覚になるのかを考える時期がありました。

 

幼少期から先生というイメージは自分のなかで無自覚に形成されていて、「先生は先生」で、その日常の普通を特に考えることもなかったのです。

 

しかし、わたしが先生と呼ばれることで不思議な感覚になっていたのは、わたしがよく知っている分野の話をしているだけ、と思っていることからでした。

 

わたしは犬の行動や認知などをまったく知らない人より知っていて、その情報を伝えているだけなので。

 

わたしがよく知っている分野があるように、他のどの人にも自分がよく知る、得意とする分野などがあると思います。

 

わたしは犬の情報をよく知らない人に伝えますが、わたしはその人からわたしの知らない情報、たとえば、窓を水垢残らずきれいに拭き取る方法やその人がよく知っている分野の話を教えてもらうかもしれませんので、先生と呼ばれると不思議な感覚が増すのです。

 

個々にそれぞれ持っているものがあり、それがどのような分野であっても独自のもので、必要とする人と個々の知識を共有することは無限な可能性があるのでは、と思います。

 

以前、マーク・べコフ氏のインタビュー動画でジェシカ・ピアス氏と共に『The Animals' Agenda: Freedom, Compassion, and Coexistence in the Human Age(『動物の課題―人間の時代における自由、思いやり、共存』)』を達筆した話がありました。

 

動画記事➡「マーク・べコフ博士と思いやりの時代の始まり

 

べコフ氏はフィールド生物学者で主な取り組みは認知行動学の分野です。

ピアス氏は生命倫理学者で、生命倫理と医療倫理の部分を主に達筆しています。

 

取り組み分野の異なるふたりがお互い持っている知識や技術などを共有し協力し合うことで、ふたりが描いた仕上がりになり新たな著書ができました。

 

マーク氏は「ピアス氏は自分と異なる視点を持っている」と言っていました。

その異なる視点のふたりがお互いの視点を融合させることで、ふたりが望んでいるものが仕上がったり、新たな発見があったりするのだと思いました。

ふたりの考えや考えている先がよく似ているのでスムーズに協力でき、よいチームなのだと。

 

それぞれの持つ知識の内容によって評価付けが行われていますが、評価付けされる理由は多くあり複雑だと思います。

しかし、優越をつけることなく、個々の存在にもっと目を向けられるといいな、と思いました。

 

知識の共有を大事にしていきたいなと思います。

 

 

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