先日、「奈良市の興福寺が猿沢池への金魚放流をやめる」という記事を読みました。

わたしは、猿沢池の金魚放流行事を知りませんでした。

 

放流に対し、「生態系の破壊につながる」「虐待である」などの批判を受け、金魚の放流をやめる決定をしたそうです。

 

声を聞き、その声に答え決定されたことにうれしく感じましたが、金魚の放流をやめる代りに「在来種の放流」を行うということです。

放流の際、魚を池に投げこむ行為に対し「かわいそう」という声には、魚専用のスロープでやさしく放流するとのことです。

 

池への魚放流は昭和の初めごろから寺近くの猿沢池で行われるようになり、放流は殺生を戒める仏教の教えに基づいた行事だそうです。

わかりやすく言うと、「他人の命も・自分の命も、一切の命が大切なものであることを儀式化したのが放生会と言ってよい」(興福寺HP)とのことですが、一切の命が大切なものであるのなら、なぜ、生体を使用するのかが理解できません。

 

金魚から在来種の魚放流に変更したことで、在来種が捕えられることになりますが、池の中で平穏に暮らしている魚を行事のためにわざわざ捕獲し、今までと異なる環境下で数日間置き、行事当日、元いた池移動し放すというのは、魚たちの暮らしや命を軽視しているのでは、と思います。

 

捕えられた魚たちは、今までと異なる水質・温度・食・捕えられた水槽内のアンモニア濃度などの水質汚染といった様々な環境変化によるストレスから、体調を崩し病気になったり、体力低下により死ぬ個体がいることでしょう。

そして、捕えられたことで体に傷を負った個体は、その後、その傷がもとで命を落とす可能性がより高くなると思います。

 

魚たちにとって、棲んでいる場所から人為的に移動させられることは死に直結することで、多くの命を奪う行為になります。

 

それぞれの命は等しく大切ものであるのであれば、ただただ魚にストレスや苦痛を与え、命を奪う行為は避けるべきだとわたしは思います。

真に魚の命や暮らし、生態系を考えると、人間が池に棲む生きものたちの暮らしを撹乱し、魚の健康を害したり、体を傷つけたり、命を奪う行為は行えないのでは、と思います。

人間が介入することで生きものたちはさぞかし驚いていると思います。

 

魚にも情動をつかさどる大脳辺縁系にあたる部分があります。

痛みを感じ、また、感情があり、仲間を認識し複雑な社会を構築しています。

ストレスにより、鬱になる魚もいます。

身に危険が及ぶ出来事や急激な環境の変化で魚たちの精神・身体は多大なダメージを受けます。

 

在来種を放流するので問題ない、やさしく放流するので問題ないと言う以前に、生体を利用していることが問題であると気付いてほしいです。

 

池で捕獲された在来種のコイ科のモツゴ約千匹の今の様子もきになりますが、約千匹の存在がいなくなった今の池の生態系はどのような変化に見舞われているのでしょうか。

捕獲された外来種は大学が引き取ったそうですが、その種がいなくなったことで、池の今まで保ってきた生態系は変わるのでは、と・・・。

 

魚たちの暮らしや生態系はわたしたちが思っているよりはるかに複雑であり、わたしたちの介入で生きものたちの暮らしに大きな混乱を招き、生態系を変えてしまいます。

 

そして、放流する魚を「在来種」に限ったり、種により扱いを変えたりは、在来種とそうでないとされている生きものたちを別とする差別意識が含み、用語を使用する際は気をつけなければと思いました。

 

何をもって在来種、外来種と決め言っているのかをたどると、在来種と外来種のあいまいさがよくわかります。

単に、ずっとここで生存している生物を在来種とし、外からやってきた生物を外来種というのは、地球の連続する時間軸で考えると明白することはできないです。

 

わたしたちはなぜ、在来種、外来種と決め、わけたがるのか。

なぜ、在来に固着するのか。

なぜ、外来は厄介者扱いにされやすいのか。

 

すべて、わたしたちの感じる、思うことからだと思います。

 

『外来種のウソ・ホントを科学する』ケム・トムソン著に書かかれていますが、先入観や偏見、思い込みなどから見える景観は真実を曇らせ、そこからの人間活動は自然生態系の多様性を損ねる結果になることがおおくあります。

 

生態系への配慮も含め、行事を生体の利用なく行う方法は考えればあると思います。

 

たとえば、スリランカの仏教寺院を訪れた友人から、寺院に「牛を食べるのやめましょう」との看板があったと聞きました。

伝える方法はいろいろとあり、「殺生を戒める」なら、生体を使用することなく、猿沢池で暮らしている生きものたちの写真、魚たちの説明のパネル設置を行い、生きものの命について丁寧に話をするなど、他の方法もいろいろあると思います。

 

 

今後、池の生態系調査や観察を行われることがあれば、その際は、池で暮らしている生きものたちに強い刺激・ストレスを与えない方法を懸命に考え行うのがいいと思います。

 

たとえば、網で捕獲し魚を観察するのではなく、水中カメラを使い池の中の様子を観察し、どのような生きものたちが棲んでいるのか、そのような生きものたちがどのような関係を築いているかなどの調査ができると思います。

 

池に棲む生きものと池の外で暮らす生きものたちとの関係観察や、池に今住んでいる生きものたちが、どのような水質、気候などでどのような行動をしているかなどさまざまな観察をし、池の環境が生きものたちにとって棲みやすい環境も知れるのではないかと思います。

 

『外来種のウソ・ホントを科学する』では、外来種と言われる動植物を受け入れることで多様さは増し、動植物が実にうまく自然環境を整えているのかよくわかります。

 

わたしたちの勝手な思い込みや先入観、偏見などの感情をもととした研究、観察結果ではなく、そのものたちのそのままの姿を観察しながらそれぞれの種の深みが増していくといいなと思います。

 

きっと、わたしたちが今まで気付けなかった生きものたちの姿の一面を知れると思います。

最新の科学的知見を取り入れた活動が増すことと、生きものたちを利用しない新たな方法が採用されることを願います。

 

 

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