昨晩、急に冷え込んできたと思ったら雪が降っていました。

鹿のふたりは、夜中に一度庭に出ますが、昨晩は出ないで朝まで室内ですごしていました。

数日前は春のような気候だったので、この変化におどろきます。

 

記事にしようと考えていた内容がありましたが、調べ始めると気になることが広がり、もう少し調べてからまとめようと思いました。

 

 

 

今日は懐かしい写真↓

 

2017年12月の犬の春ちゃんと鹿のすぐるちゃんです。

春ちゃんはストーブの前が好きです。

 

 

顎の下をゆっくりやさしく撫でてもらうのが好きなすぐるちゃんです。

大きく育った今も好きです。

 

今は成長して角も生え、幼さがほとんどなくなっていますが、あどけない感じや面影が幼い頃と変わってないな~と。

 

犬の春ちゃん、鹿のすぐるちゃん、それぞれがひとりの存在で、命がなくなると二度と会えることのできない存在です(わたし自身もそうです)。

それぞれの命がどれだけ大切かはこのことだけで十分理解できますし、感情を持ち生きることの個々の人生の大切さもわかります。

 

小学生のわたしは、苦痛や苦悩の日々に「なぜ、この体がわたしなのか」とよく考えていました。

わたしというわたしの意識や心だけ、苦痛ない安心していられる暮らしの場に移ることができるといいな、と思っていました。

見て見える体はこの体でなくてもいいとも思っていました。

小さい頃のわたしは、つらい環境から逃げ出したい気持ちがとても強くあったと思います。

 

命と感情や精神など別として考えられていることがありますが(たとえば、命だけあればいい、気持ちはどうでもいいということなど)、体と感情、一緒なのがわたし(命)で、生きているということだと思いました。

 

それぞれが生きることに苦痛を感じること少なく、個々の自分で生きれる社会であるといいなと、心から思います。

 

 

 

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