午後から雨が降ってきたので同居動物たちは室内で寝て過ごしています。
今日はわたしの気持ちを整理したいと思いました。
わたしは勉強を始めて、多くの現実を知っていくと同時に危機感や悲しみがつのり、行き詰まることが多くあります。
地球自然環境や動物利用、狩猟について、子どもたちの環境、大人たちの環境やあり方など社会には多くの問題やおかしいと感じることがあります。
わたしが今まで知らなかったことを同級生や身近な人に話をすると、「おかしいことを言い出した」と言われることがあります。
先日、同級生グループに温暖化についての情報をシェアしましたが、返信をくれたのはひとりだけで、サラッと言葉でした。
問題意識を持って、わたしたちの暮らしについて真剣に語り意見交換したいなと思っても、悲しいことに今まで親しかった人がそうでなくなります。
「なんでかな?」と考えると、わたしの話す内容は相手にとって不必要だということがひとつにあると思いました。
現実に起こっていることから、わたしたちはどうやって生きていくかを考えることができ、その時ベストな行動ができると思うのですが、わたしの身近だった人は知りたくないと言います。
個々に考えが違って当然ですが、何を優先すべきというのは個々ひとりのものとそうでないのがあると思います。
作られている社会で人間にとって本当に大事にすべきことを見つけだすのは難しいことと思いますが、不可能ではないので自分として生きるためにも見つけ出すことができるといいなと思いました。
わたしは大人になってから勉強を始めました。
そのため、自分の関心あったこと以外の知識はほとんどなく、これからどれだけ得れるのかもわらないので、出来ることに限りがあるようで落ち込むこともあります。
しかし、行き詰まり落ち込んでいる時間はないということはよくわかっています。
今の自分の状況からわたしが今できることを探してやっていかないと、と思います。
知ることや学ぶこと、考えることを放棄するのは人間にとって難しいことではないと思います。
しかし、わたしたちにとって必要なのはその難しいことを考え続け、その時ベストな行動することだと思います。
動物擁護活動をされている方にはひとりで活動されている方もいます。
とてもすごいなと感じます。
わたしが知らないだけで、動物たちを思い、個々に活動や行動をされている方は多いと思いました。
動物を守る、助けることは弱い立場に置かれている者の存在に気付き、その者たちの気持ちになれるとてもすばらしいことと感じています。
すばらしいことですが、そのすばらしいが自分のためになるとまた違ったあり方になるのだと思います・・・(人間都合のものになる)。
以前、NHKのON MY WEYで獣医師森田正治さん(森田さんは亡くなられています)に取材したときの様子が放送されていました。
その中で森田さんにたいして「なぜ、鹿をたすけるのか」と言う問いがありました。
「なぜ、たすける?」
正直、この言葉にいろんな意味でおどろきました。
「なぜ、たすける?」
わたしならどう答えただろう、と考える前に「生きているからに決まってる」とひとつの答えがでました。
生きていない生きものを助けることはできないです。
その者にとって、生きている間が全てです。
だから、真に動物の立場に立つ活動家たちは必死で守ろうとし、助けるようとするのだと。
そして、その者が生きている間に苦痛や不快を感じない、苦悩を抱えないようわたしたちは学び、知識を得て実践していくのだと。
人間に濡れ衣を着せられ、勝手に害獣と言われている動物は金儲けのために利用されています。
その動物たちの暮らしを思い、その者の暮らしを守ろうとする人間はわたしたちの社会では少数ではないかと思いますが、そうでないかもしれないかも・・・。
犬たちの犠牲を減らそうと、犬たちに焦点を絞り活動されている方たちや猫やイルカ、鳥、家畜と言われている動物たち、動物園にいる動物たち、熊、鹿、猪、猿、蝶など他の生きものたちの種を思い個々に守ろうとする種は異なると思います。
自分にとって身近な動物であったり、関心があったりからその思いは異ると思いますが、その種だけの扱いを改善することは非常に難しいのではと感じています。
なぜなら、わたしたち人間が人間や動物たちの扱いを決めているからです。
そこには暴力、支配、差別があり、これらをなくしていかなければいけないと思っています。
わたしたちは他の生きものたちと同じ動物であるということを理解し、動物たちを思うままに利用し、苦しめ、命を奪う行為をわたしたち人間はなくしていかなくてはならないです。
今を生きる大人や子どもたちが個々の尊重や権利、平等について関心を持ち学び、個々の意識を高めることができるといいなと思いました。
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