少し休憩と、床に横になるつもりだったのが、不快眠りに落ちてしまったわたしです。
眠っているときに誰かがわたしに近寄ってくる気配がして、しばらくするとわたしの顔の匂いを嗅ぐ鼻息の音がしていました。
そして、誰かはわたしの顔をやさしくペロッと数回舐めてくれました。
誰かを知ろうとうっすら目を開けると、鹿がいました。
わたしは顔をよく舐めてくれる鹿ののぞみちゃんかと思いましたが、鹿のすぐるちゃんでした。
すぐるちゃんが顔を舐めるのは珍しいなと思いましたが、もしかしたらわたしが気付いていないだけで夜間も舐めてくれているのかもしれないなー、と思いました。
すぐるちゃんはわたしの顔をやさしく舐めてから庭に出ていきました。
寝ているわたしを起こさないでそっと去って行ったすぐるちゃん。
すぐるちゃんが去った後、犬のひーちゃんがきました。
ひーちゃんはわたしの体に自分の体をべったりとくっつけ、寝はじめました。
そうすることで、ひーちゃんは安心してよく眠れるのだと思います。
わたしもホッとしてよく眠れます。
明日も天気がよくないようなので、みんなとゆったりとした時間を過ごしながらゴロゴロしたいな~と思いました。
体を舐めているすぐるちゃん。
「体、きれいにしとかないとねっ」と、すぐるちゃん。
鹿たちも犬たちも自分の体のお手入れをしている様子から、動物たちも清潔な体の状態を好むことがわかります。
犬たちは天気のよい日には毛皮を念入りに干し、鹿たちも適度に日光にあったったり、毛に尿が付いていると舐めたりしています。
犬鹿たちの体に泥がついているときは、泥を意識して取る行動はしてないのですが(犬鹿たちにとって、泥は体の清潔とは別なのだと思いました)、いつも間にか毛がピカピカときれいになっているのにはおどろきます。
泥が乾くと毛からシュッと取れやすくなり、マットにすれて取れたり、歩いているうちに床や地に落ちるのだろと思いました。
動物たちの毛は外傷などから皮膚を守ったり、体温調節や仲間に状況を報告したり、身を守ること、他の生きものたちのお家の敷物になったり、清潔さを保てるようになっていたりと、本当にすごいと感じます。
動物たちの姿を見ていると、動物たちが個々の人生を生きるために生まれてきているということがよくわかります(当然のことですが)。
動物たちは人が利用するためにある存在だといわれていることがしばしばありますが、その考えはとてもおかしいなと感じています。
わたしたちは誰かに利用されるために存在しているのではないです。
それは人以外の動物も同じです。
生きるということに真剣に向き合い暮らしていきたいなと思いました。
夕暮れ時の写真。↓
時々、この写真のような心境になることがあります。
静かに日が沈み静寂な深い夜がやってくる言葉に出来ない心境。
寂しさや悲しさ、恐怖などが入りまじった心境はすべて動物たちの置かれている状況に繋がります。
とてもダークネス。
いつか動物たちにとってやわらかい陽がさす社会になってほしいと願っています。
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