今朝はパートナーの「あぁっ!」という大きな声で目が覚めました。

 

パートナーが声を出した直後に様子をみると、パートナーはバタバタっと鹿ののぞみちゃんの方へ近寄っており、のぞみちゃんはその声と動きに驚き怖さで後ずさりをしていました。

わたしはパートナーにのぞみちゃんが怖がっていることを話、どうしたのかを聞きました。

 

すると、のぞみちゃんの短い足先を保護するカバーが取れているとのことでした。

 

カバーが取れ、足先に傷を負うかもしれないという心配は理解できますが、現在ののぞみちゃんの足先は半年以上前に負った傷からできた分厚いカサブタのようなものが付いており、それがうまい具合に足先を傷つかないように保護しています。

 

分厚いかさぶたのようなものの9割は正常な皮膚から剥がれており、残り2~4ミリほどが皮膚に引っ付いています。

分厚いので皮膚から剥離していても、そのかさぶたのようなものは足先の形状のまま維持し保護の役割を果たしています。

無理矢理かさぶたのようなものを取るのは逆に皮膚を傷めると思ったのでそのまま自然に剥がれ落ちるのを待っています。

 

パートナーはのぞみちゃんの足カバーを交換する気がなく、しないので、今の足先の状態を知らないでいました。

今日の出来事から、日頃から丁寧に動物たちの状態の話をしておこうと思いました。

そして、パートナーには動物たちが驚いたり、怖がったりしないわたしたちの接し方、行動などについて時々話をより詳しく丁寧にしようと思いました。

 

先日から、パートナーと動物たちへの接し方などについて、互いに気になることは心にとどめることなく伝え合うようにしています。

互いの指摘から、自身が気付かずに行っていることを知れていいのではないか、ということからです。

指摘に対して、自分自身を見直しになっていいね、とそのことについてふたりで考えることもあります。

そうすることで、その指摘が正当なものなのかどうかも見えてくるときがあり、いいなと感じています。

 

ことろで、今日は野生動物の捕殺を積極的に行い、それらを全国へ広めるという記事を読みました。

この記事についても今日はパートナーと話をしました。

わたしたちの社会に生きる人間以外の動物たちは同居動物を含め、全ての動物たちが苦しみつらい思いをしているね、と話していました。

 

わたしたちの社会に生きる動物たちの現状を友だちや身近な人に話すと、ほとんどの人が「○○の国はもっと酷い」「自国はそんなに酷くない」と言いますし、わたしが読んできた書籍の中にも自国と他国を比べ、他国の行為のみに批判的な文章が多くありました。

酷い行いに対し、その行為を批判するのはとてもいいことだと思います。

 

しかし、自分の中にある偏見や区別(=差別)などがそこに反映していないか常に意識しておくことは大事だと思います。

自分自身で気付きにくい面もありますので、わたし自身もこのことを意識しながら暮らしています。

 

そして、地球上で生きている人類は、どこに住んでいても人類であるということを理解しておきたいと思います。

 

生きて暮らしている場所で生活形態は違い、意識や価値観など大きく異なりますが、そこの社会はそこに住んでいる人たちで作られ、これからも作られ続けると思います。

 

他国から批判を受けることで、その行為の見直しが行われ、動物たちに対し人道的に接する、関わるといった進みになるかもしれませんし、ならないかもしれません。

 

どう進むかはそこに住んでいる人たちの意識の影響が大きいのではと思います。

 

たとえば、わたしたちは諸外国から捕鯨という行為を批判されています。

しかし、現在、捕鯨は以前に増し行われており命が奪われています。

批判されている行為なのになぜ?

批判されてもやめたくない人たちがいたり、そのこと自体に無関心であったり、他にさまざまな要因があり継続しているのだと思います。

 

わたしたちの社会では残虐な行為は日常から見えにくく、わかりにくくなっています。

そのことで、暴力や差別が少ない、ない社会であると錯覚しやすい、といったことがあるかもしれないと思いました。

 

現実はどうなのか?を考えたとき、それらが見えやすくなってくると思うのですが、確信にいたるまでは少し時間がかかる人もいるかもしれません。

わたしは自国の動物利用の件に関心を持ちそこから、自国の方向性がうっすらと見えてきました。

 

たとえば、生態販売の禁止を求める声が多いにもかかわらず、いっこうにその進みにならないことや、動物を真に守る法律がないこと、政府や行政によって、動物たちへの適正な関わり方(動物の利益を考えた人道的な接し方)についての啓発がほぼないこと、地球自然環境やすべての野生動物たちを考え配慮した啓発や法律もないこと、産業動物たちに対しても動物福祉と言う言葉があるだけです。

 

関心は広がり続け、わたしたち自身の問題と直面しました。

周りを見渡すと、どうでしょうか?

わたしたちが健康に育ち、健康を維持できる安全な商品は売っていますか?

わたしたちの一日の大半は仕事の時間ではないですか?

自国が定めている基準はわたしたちの健康や環境に対し安全なものですか?

何を推進していますか?

など、多くのことからわたし自身が持っていた疑問、全て繋がっていきました。

 

最初の頃の関心事だけからでも、自国は暴力を推進している?と思いました。

実際、政府や行政がやっていることはそうです。

 

世界の進みと逆行し、どんどん野生動物や動物たちに利用価値があれば販売、展示、殺すことを行うといったことを意図的に進められています。

そして、そのことだけを行い、動物や自然環境を保護したり、思いやる意識を高めたりするためのお金をほぼ使っていない、このことが一番こわいことです(何も整っていない、整える気がないことを意味すると思います)。

今、森林伐採が国内各所で行われているようです。

破壊ばかり・・・。

 

本来、政府や行政が積極的に動物福祉の啓発を行い、動物たちの犠牲を減らす策を進めていかなければいけないと思います。

行政で働いている方の中には動物たちのことや自然環境に対して、真剣に考え実現に向け取り組んでいらっしゃる方たちもいます。

しかし、残念なことにその声は届かない時もあります。

なぜ、その声は届きにくいのか、ということも考えたり、知ったりと関心を持てるといいなと思います。

 

わたしたちは隠された残虐な行為や進められていることをしっかりと知ることだと思いました。

そして、そのことに対し「おかしい」と感じることなどは声に出して伝えていくことだと思いました。

どのような場面にも言えることだと思いますが、声にしないとそれでいいものと思われてしまいます。

 

人は人以外の動物たちに酷い行為を続けており、それは増し続けています。

 

酷い行為が存在する社会でも、その中でそこに住む人たちが思いやりある社会の実現に向け、残虐な行為に対し、とても多くの人たちが活発に批判をし、法律や規則などが出来(作り)少しずつ整えが進んできています。

そのような社会では動物たちの暮らしのことも、わたしたち自身の暮らし(政治)にも関心がとてもあると思います。

 

自分のすぐ近くの行いや進みを見て、「おかしい」「それは暴力」と感じたら声にしていく。

そして、世界各国の行いや進みを見る(知る)。

ここに生きる動物たちの苦しみの声は、ここに生きるわたしたちが積極的に伝えていけるといいなと思いました。

 

 

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