最近、鹿ののぞみちゃんの鳴き声に変化があります。
今までは勢いある声で鳴いていたのですが、今は弱くやわらかい細い声で「ピィ~~ピィ~~」と鳴いています。
鳴き方は、犬にもそうですが、その時の感情、状況などによって違います。
それはわたしたち人もそうであると思います。
鹿ののぞみちゃんは、レスキュー後、みんなと違う空間ですごしていました。
その時は、「みんながいる場所にわたしもいきたい!」と不自由な日々のつらさが鳴き声に表れていました。
気持ちを声に出していたのぞみちゃんは、溜まっている気持ちを鳴くことでわたしに伝えていました。
鹿たちや犬たち、猫たち、他の動物たちの姿を見ていると、わたしたち人とのつながりをとても感じます。
動物たちは声からもさまざまな気持ちを伝えてくれていますので、その声をわたしたちは聞く耳を持ち、動物たちとかかわれるといいなと思います。
わたしが動物たちとのつながりを感じ、人以外の動物の体を食べなくなった、と同級生に初めて話した時、同級生のひとりが「え!?宗教で?」と言いました。
ですが、わたしは無神論者なので、動物の体を食べないと決めた経緯や思いを話しました。
わたしたちと同じ感覚、感情を持っている動物だと知りながら、それを自身でごまかしながら(正当化)食べることはできないと。
わたしは動物たちが非常にわたしたちと似ていることを正確に知ることで、「動物の体は食べない」という選択にいたりましたが、これはあくまでもわたしの思考の変化であって、動物たちがそうであると知っても食べ続ける人が多くいるのだと後に知りました。
このようなことから、さまざまなことを考えましたし、今も考えています。
動物たちの体は食べない、食べたくない、と言うと決まって、「なんで?食べないといけない!体調壊すよ」と言われます。
しかし、体に必要な栄養素を摂取できていれば、動物の体を食べなくても健康的に成長でき、維持できることがわかっていますので、その話もしますが、「食べないといけない」で終わってしまいます・・・(ヴィーガンの人に肉を食べなさい、動物を使った料理を作りなさーい、というのは人権侵害になります。ヴィーガニズムは思想信条であり、その自由と権利は保障されるべき人権のひとつです)。
しかも、鹿たちと暮らしていることを知りつつ、鹿肉の話をして、食べるということを言ってくる人もいます。
犬と一緒に暮らしている人にも「犬を食べないとね」、「犬、そろそろ食べごろじゃない」などと言っているのでしょうか?
言葉や行動からはその人の人間性が分かるときがありますが、そうでないときもあると思います。
わたし自身、傷つき悲しい思いになのはもちろんイヤですが、わたしよりはるかに傷つき、苦しい思いをしている動物たち、被害者がいます。
自分は相手に対し、どのようなことをやっているのか?をどれだけの人が自分で考えているのでしょうか。
たとえ、自分が苦しくても、誰かに八つ当たりして暴力で傷つけてしまうことのないように暮らしたいです。
人間は苦しい気持ちを言語を使い、非暴力な言葉で誰かに伝えることができます。
生きている間に、少しづつ、少しでも自身の成長につながる暮らしができるといいなと思いました。
動物たちを苦しめないためにも。
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