先日、数年前の出来事を再度取り上げている人がいました。

 

わたしは知りませんでしたが、「ブタを殺す授業」というもので、TVで放送されていたようです。

ネットでは「ブタと子どもたちの150日」とありました。

 

内容は子どもたちが幼い動物(ブタ)に名前をつけて育ており、その後、大きく育った動物を屠殺場に無理やり連れていき、殺し、体の一部を子どもたちの目の前に置き、見せる。という内容でした。

 

当時の子どもたちと屠殺場に連れていかれる動物の画像がありますが、見るに耐え難いです。

 

子どもたちの泣き崩れいる様子や動物が屠察場に「いきたくない」といっている様子、そして殺され、バラバラにされた動物の体の一部を見る子どもたちの表情が凍り付いていている様子が4枚の画像から知れました。

 

動物と子どもたちの心が裂け、どれだけ苦しかっただろう、どれだけ悲しかっただろう、どれだけ恐怖だっただろう、そしてどれだけ痛かっただろうと。

 

このようなこと(動物を殺す)を「子どもたちに教える教育は必要だ」。と言っている人がいます。

 

このことについてわたしなりに考えようと思いました。

 

なぜこのようなことを子どもたちに教えることが必要なのでしょうか?

 

そのことを「命の大切さを子どもたちが理解し、食べ物に感謝をするようになる」ということにしてみます。

 

わたしは大人が子どもたちに命の大切さを伝えたいのであれば、「大切な命は奪わない」ということを伝えなくてはいけないと感じます。

 

命の大切さと殺して食べるということは相反しています。

 

命が大切なのはなぜ?

 

生物は命がないと存在しないです。

存在しないということはわたしという存在がいなくなるということです。

 

わたしという存在が家族や友だち、周囲の人々に与えている影響やわたしが存在していることでわたしが得ている物事が全くなくなるということです。

 

体の機能に必要なその命はわたしのもので、わたしの命を誰かに勝手に奪うことはできないものですし、勝手に利用されることもできないものです。

 

そして、ひとつの命であるわたしたちはその自分ひとりの命を生きていきます。

 

このことは別種も同じであります。

 

命があるということは、その個体であるわたしと関わってる他の命の個体への影響があり、その影響も考えなくてはいけないと思います。

 

自分という、ひとつの命から繋がる他の命との間に、お互い思いやる心が育ち、お互いが大切な存在であるということを身をもって感じると思います。

 

その個体にとって、わたし自分として生を生きるに命は必要で大切な命であると今のわたしはそう感じます。

 

自身の命は大事というのはおおくのひとが理解しやすいと感じますが、自分の命と他者の命を切り離しているのは想像力や共感能力の欠如からではないかと思いました。

 

 

「命(食べ物)に感謝して食べる」ということをいつからか言われはじめましたが、当時のわたしはこの言葉に対し強烈な違和感を感じていました。

 

「わたしたちが生きる為に死んでくれてありがとう」ということでしょうか?

 

動物たちが命を犠牲にしてくれているから「ありがとう」と言って食べなさいというのであれば、大きな間違いであると感じましたし、大人がわたしに(子ども)何か別のこと(本質)を言っているのではないかと思っていました。

 

わたしたちが動物たちにすべきことは誤ることではないでしょうか。

そして、犠牲を避けていけるよう、わたしたちは考え、いろんなアイデアを出し合い議論を重ねていくことが大事だと感じます。

 

昔、人体を作るには動物性摂取が重要と言われていたそうですが現在、健康維持には動物性が必須ということは、現在の栄養学では否定されています。

 

動物性をとらなくても、適切に計画された献立はすべての年齢層の人に適しており、健康的であると言われています。

 

わたしたちの社会ではわたしたちが生きていくのに動物性を摂取する必要はなく、動物性以外のもので栄養素をきちんと摂取できますので、生きる為に動物を殺して食べるという理由は、動物を殺し、体の一部を食べることを正当化するために使われているのだと感じました。

 

感謝をしていれば誰かの命を奪い、その個体の体を食べてもいいこと、利用してもいいことであればどんな暴力も許されてしまうことになりますし、他の者の体を食べるという行為自体、今のわたしたちの社会では道徳の観点からしてよくない行為であることは明白だと感じます。

 

人間以外の生き物を感謝していただく、というのであれば、人間と他の生き物を区別している差別であり、人間至上主義ではないかと感じます(人間と他の動物には種としての違いはありますがその他に差異はないです)。

 

感謝は目にみえないものです。人が何に感謝し、どれだけ感謝しているかは他の者は全てを正しく知ることは出来ません。

 

 

そもそも、命や感謝を正しく理解していれば、「感謝して他の者の体を食べる」ということは言えないことでなではいでしょうか?。

 

 

大人が行ったこのような企画は何の為に行われたのか?という疑問があります。

 

わたしは大人は子どもたちに「生きものは殺していいんだよ。そして食べるものなんだよ。だから、生き物を殺すことになれなさい。躊躇しなくてもいい」と言っているようにしか感じません。

 

なぜそのようなことを子どもたちに教えこむのかというと、おおくの大人にとって都合がいいからだと思います。

 

言ってることとやっていることが伴わないということを大人はきちんと理解してほしいです。

 

大人が動物や子どもたちにおこなう行為(大人の都合)で苦しみ、悲しみ、痛みを感じ、絶望するのは子どもたちで、動物は命を奪われます。

 

 

子どもたちに「生き物を食べるということはこういうことなんだよ」と伝えてたいのであれば、子どもたちが動物を「屠殺場に連れていかないで!一緒にいたい」という気持ちがある時点でやめるべきだったのではないでしょうか?

 

それ以前にこのようなことは行ってはいけないと強く感じました。

 

子どもたちが思いをこめて大切に世話をし、動物と心を通わせ、胸をときめかせながら育てていたと感じます。

子どもたちは動物をとても大事にしていたことは子どもたちの涙や姿を見ればわかります。

 

このことに関わった子どもたちの深い心の傷は生涯、トラウマとなり残ることがあります。

子どもたちの心のケアがきちんとおこなわれている環境であることを願います。

 

そして動物も子どもたちとの関わりをよろこんでいたのではないでしょうか。

大切にしてくれる、利他的な愛情を拒む動物はいないのではないかと思います。

子どもたちに大事に思われていた動物の気持ちは、恐怖と絶望のなかその苦痛を誰にもしられることなく、いなかった存在へとされてしまいます。

 

 

子どもたちはのなかには感覚や思考、心の豊かさ、直観などから「殺してはいけない」「大事にしたい」ということを理解している子どもがいると思います(おおいように感じます)。

わたしたち大人は子どもたちから教えてもらうことがたくさんあると感じています。

 

動物や子どもたちはわたしたち大人の所有物ではありません。

小さくても、別種でもひとつの個体です。

その個体は自分の意思や感情を持ち備え、自分で意思決定を行います。

その個体の気持ちや決定に関して、わたしたち大人は否定する権利はないのです。

 

わたしたち大人が子どもたちに行うことは、気持ちを無視し、嫌がる事を教え込むのではなく、子どもたちの気持ちに寄り添い尊重することです。

 

そしてその個体が持ち備えているものが大人の影響によって芽を摘まれることがないよう、すくすく育てていける環境作りにわたしたちは努めなければいけないと思います。

 

小さい頃から、大人の勝手な考えである、動物は食べるものだということを子どもたちに押しつけたり、子どもたちの思考を誘導したりしないようしなければ、このようなことは子どもたちを生涯苦しめることになります。

 

大人は子どもたちに常におおくの選択肢がある環境を提供してあげ、

わたしたちはその時一番正しいとされている情報(世界基準)を子どもたちと共有し、それをもとに、子どもたちはおおくある選択肢のなかから自分の意思で判断し、行動をすると思います。

 

子どもたちが個々の自分で生きていけるということは、生涯、子どもたちにとってよい影響を与えます。

 

なぜ、おおくの大人たちはこのような酷いこと(相手を傷つける)を動物や子どもたちにおこなうのでしょか。

 

わたしは小さい頃から、自身も含め、大人たちが弱い立場にある生体に対しひどい行いをしているのを見てきています。

 

おおくの大人の行いに動物や子どもはどれだけ恐怖を感じ、不安になり、痛みを伴うかを大人は考えもしないということを小さいわたしは感じ取っていました。

 

だからわたしは大人になりたくないと、小さい頃思っていました(大人になると自分もそうなると思っていました)。

 

動物や子どもたちを悲しませ心に深い傷を負わす、体にも苦痛を与える(危害を加える)ことを大人はどう感じ、行っているのでしょうか。

 

自身を見つめ直し、共感能力や想像力を発達させ、道徳感を発展させてほしいなと思います。

 

 

わたしも、命や生きること、道徳についてもっと勉強していきたいと感じました。

 

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