『紛争・対立・暴力』世界の地域から考える

西崎文子・竹内進一―編著  岩波ジュニア新書 2016年10月20日 第1刷発行

 

わたしは直接戦争を経験していません。

戦争は終わったのだと思っていました。

 

しかし、本書でわたしは戦後から現在は「冷戦」という時代に突入しただけであり、この「冷たい戦争は」直接対決に備えるため、核兵器を含む軍備の拡張が進められ、大国からその同盟国へと武器が供給されている時代であると知りました。

 

今までわたしは、自身戦争を直接経験することはなく生涯を終えると思っていましたが、そうではなく、戦争はいつ起こるかわからないのだと感じました。

 

本書では、近年、世界で亀裂が多様な形で表れており、それらを分野ごと研究者がその地域の人々を知り、歴史や文化をたどり(地域研究)、紛争・対立・暴力の要因を分析し、詳しく説明してくれています。

 

紛争、対立、暴力を見るには物事の背景にはどのようなことがあるのか、そしてその経緯を考えることであり、断片的なある情報だけで判断してはいけないということだと感じました

 

そして、人々がどのような状況におかれ、どのように物事を捉えているのか、目に見えないところを知るには直接の関わりが大事だと感じました。

直接関わることで、偏見と幻想のなかで作り上げられるイメージはただのイメージであり、本当は違ったということを知れると感じました。

 

 

今までの時代で解決できなかったことがわたしたちの時代の紛争、対立、暴力に繋がっており、それぞれの時代の紛争、対立、暴力をいかに捉え、解決への努力を重ねていくことだと本書に書いてあり、今までの知恵や知識が蓄積されてきたのかを理解し、わたしたちの時代の問題と向き合い方を考え直すことが求められているのではないでしょうか。と西崎文子さんは言っています。

 

西崎文子さんは考え直していく作業に必要な心構えを3つあげてくれています。

 

「一つは、個々の事象に対する自分の感性を大事にしながら、おおきな視野でものごとを捉えることです。日々、さまざまな紛争や対立が繰り返される中で、心の繊細な人ほど、テレビや新聞で報道される悲惨な事件に心を痛めてしまいがちです。それはまっとうであり必要な反応です。感性の豊かさは共感をもって世の中を捉える能力につながるからです。ただ、その場で流れる映像に「感応」することと同時に、そこから一歩退いて、ものごとの背景に何があるのかを理解するようつとめることも必要です。(中略)断片的な感情を、まとまった理解へとつなげ、自分なりの世界認識の中に位置づけていく。そこからまた新しい思考がうまれてくるかもしれません」(ⅴ-ⅵページ)。

 

 

「もう一つは、「視座」についてじっくり考えること、つまり、誰の目を通してものを語るのか、どのような立場でものごとを捉えるのかを意識することです。(中略)ニュースを受け止めたり、ものごとを判断したりするときに、自分が誰の立場に身を寄せているか、目線をどこに置いているかを吟味することで気づくことは少なくありません」(ⅵ-ⅶページ)。

 

 

「三つ目は、メディアでよく使われる言葉や、定型化したニュース報道に疑問をもつことです。(中略)そして、米国政府の言葉に、メディアも無批判に同調してしまったのではないかと、と。米国に限らず、メディアの言葉や政府が広報に使う言い回しは、繰り返されることによって私たちの意識の中に浸透していきます。使い勝手もよく、ついつい鵜呑みにしてしまいがちです。しかし、その使い勝手のよさが、さまざまな問題に気づく機会を奪っていないか、立ち止まって考えてみることも大切でしょう」(ⅶ-ⅷページ)。

 

この3つはわたしたちが非常に苦手とする作業ではないかと感じます。

暗記教育で育ち、人権教育を正しく受けていないわたしたちは疑問をもちにくく、さまざまな情報の洪水にのみ込まれ、簡単にすむ(楽)方へ流れがちだと感じています。

 

そして、深く考えることを放棄していることがおおいと感じます。

考えるを放棄することでわたしたちがおかれている状況はどんどん悪化していくのではないかと感じました。

 

紛争、対立、暴力には必ず、偏見や差別、そして国家をめぐる問題に行き当たるとかいてあり、政治権力の問題や経済的利害関係が絡み合っていると本書にあります。

 

世界の自然環境保護の活動家や開発に反対する住民のリーダーが脅迫、襲撃、暗殺の被害にあっています。

いくつかのケースでは外資系企業が現地で契約した警備会社など、開発企業の連なる者が犯行に関わっていることが明らかになっています。

しかし、これらの暴力は不処罰であることがほとんどだそうです。

 

一部の人たちの巨額の利益のために地球があり、わたしたちがいるのではないです。

 

人々の関係に亀裂を生じさせる者はどこにでも必ず存在していて、わたしたちにたくみな言葉を使い、亀裂をはしらせ、AとBに分け、対立させようとします。

 

わたしが振興住宅地に住んでいたころ、このようなことがよくありました。

新しい街で暮らしはじめる人たちはみんなが「初めまして」で、付き合いの距離感がよくわからない感じでした。

 

そのような状況で、亀裂をもたらす者(C)は意図的にAさんに対し「Bさんから何も聞いてないの!」と言いだします。

 

Aさんは「Bさんはなんでわたしに言ってくれなかったのだろう・・・」と悩んだり、「なんでわたしにだけ言ってくれないの」と怒りを伝える人もいると思います。

 

AさんとBさんの関係がよく知ったなかであればAさんはBさんに、なぜ話してくれなかったのかを聞くことができると思いますが、そうでない場合、AさんはBさんに対し負の感情を抱いてしまうようになり、AさんとBさんの関係には大きな亀裂が入ることになります。

 

なかにはCさんに「聞いてないの!」と言われても「聞いてない」止まりの人もいると思いますが、わたしたちの傾向上、悩む方がおおいのではないかと感じます。

 

わたしたちは日ごろから、十分に注意をし、このようなことに気がつけるようになっておきたいなと思います。

 

亀裂がはしると紛争、対立、暴力はどんどん大きく深くなっていくと感じます。

 

わたしは毎日ヘイトスピーチを見聞きします。

偏見や区別(差別)がおおくある社会は平和とは遠いですが、今以上亀裂が生じないよう、少しでもそのようなことがうすくなるよう、わたしたちはどのようにすればよいのかを真剣に考えていくことが求められていると感じます。

 

本書の末の方に外村大さんが差別をこのように書かれていました。

 

「そもそも、差別とは正当な理由もないのにある集合全体を劣ったものとしたり、問題があると見なしたりすることです」(160ページ)。

 

これはどういうことでしょうか?

 

正当な理由があると差別は行われてもいいのか?

他者を差別する感情を抱いていてよいのでしょうか?

 

わたしは差別に正当な理由などないと感じます。

 

差別とは相手と自分の違いを区別し、差をつけることであって、わたしたちは今までの歴史から、分け隔てがどれだけの人や動物を苦しめ、犠牲を出しているかを知っていると思います。

そのことから学んだことが、分け隔てなないで相手を尊重することなどではないでしょうか。

 

わたしたちはみんな、それぞれ自分らしく自由に生きる権利があります。

 

おかしなことに戦争は人々の命を奪ってもいいと例外が設けられるようです。

例外が認められることに驚いていますが、認められるのはわたしたちの認識も影響しているのではないでしょうか。

 

世界に戦争がなく平和を願うのであれば、わたしたちは戦争がおきない社会作りをし、自身に対しても例外がないかを見つめ直すことが大事ではないかと感じました。

 

「戦争は悲惨だからというだけでは防げない」といった友達の言葉がそれを語っていると感じました。

 

昨日まで「武器見本市」が千葉市でおこなわれていました。

おおくの方たちが会場前などで抗議をされていました。

 

展示している武器は、おおくの人々や生き物たちに深い傷を負わせたり命を奪ったりするものです。

子ども大人、生き物のすべての命を奪う武器。

 

わたしたちの社会は平和だと言われていますが、おおきな思い込みであると感じました。

 

本書で西崎文子さんがわたしたちに伝えてくれた3つの心構えを意識して暮らしていこうと感じました。

 

ポッチとお願いします。

にほんブログ村 犬ブログ 犬 問題行動へ
にほんブログ村