昨晩は低気圧の影響もあり、シカのすぐるちゃんが寝付かれずウロウロし、イライラしていました。

寝たいのに寝れないのはとてもつらいなと感じます。

 

わたしはすぐるちゃんに「つらいね」と声をかけ、首をそっと撫ぜると落ち着くのか目はうつろうつろになり、甘えてわたしの腕をなめてくれていました。

 

すぐるちゃんがそわそわしているとシカののぞみちゃんもそわそわします。

 

のぞみちゃんは庭に出ていきました。

 

しばらくしてすぐるちゃんがやっと落ち着き、休みだしました。

 

その時のぞみちゃんが室内に戻ってきて、セルフ食事をしていました。

 

すぐるちゃんが休んでいる場所に、のぞみちゃんも休みたいと思うことがあり、のぞみちゃんはすぐるちゃんに「どけて」と言いにいくので、わたしは間に入って様子をみていました。

 

もし、のぞみちゃんがすぐるちゃんの場所がいいというなら「こっちでねない?」と提案をしようとしていました。

 

昨晩は提案をしないですみました。

 

すぐるちゃんが食事をするのぞみちゃんをジーーーと見ていたので、わたしは休んでいるすぐるちゃんの前に食事の葉っぱを持っていきました。

 

すると、のぞみちゃんもジーーーとみるのでわたしはふたり同じように目の前に食事を届け、寝る事にしました。

 

ふたりは満足そうに食事を食べ、落ち着いて寝る事ができました。

 

同じ部屋で寝ている、イヌのひよりちゃんは「やっと落ち着いたね」とわたしの顔を見ていました。

 

家族がおおいとひとりひとりの心境などみんな共有することになるので、昨晩のように他のみんながゆっくりと寝れない時もありますが、そんなときはみんなお昼間に深く寝て寝不足にならないようにしています。

 

イヌやシカたちが心身ともに自由な暮らしでは、冷静に認識、判断ができますので対処方法も動物たちが自分で決めてくれます。

 

すぐるちゃんは昨晩、わたしが声をかけた時以外はソファーベッドのパイプに頭をこすりつけたり、歯を左右にシャーシャーすべらしたりして、自分の落ち着かない気持ちを落ち着かせようとしていました。

 

本当に感心します。

 

 

 

イヌや他の動物たちと暮らすにはわたしたちの知識が必要です。

 

誰でも一緒に暮らせるという認識は間違いであり、結果イヌたちが苦しむことになります。

 

イヌを購入したり、保護施設から迎えたりすることは気軽にできますが、実際、一緒に暮らすのは簡単ではないと感じます。

 

イヌやネコ、他の動物たちと関わる全ての方たちがイヌたちが安心できる環境をどのようにすれば実現できるのかを考えなくてはいけないと感じます。

 

イヌたちはわたしたちと暮らす時にはすでに心に大きな深いキズを負っています。

 

そのイヌたちにわたしたちはどのように接してあげればよいのか。

 

 

イヌたちは物ではなく機械でもありません。

 

脳があり全身に血がいきわたりあたたかいのです。

 

 

物ではないのでどのイヌにも適応する取り扱い説明書などは存在しません。

 

あるのはイヌがどのような動物なのかを知れる書籍などで、イヌの歴史や習性などが書かれてあるものです。

 

そして、近年、イヌの観察、調査、実験などから新たな情報が得ることができ、今まで以上にイヌたちのことを詳しく知れるようになっています。

 

わたしたちはなぜ、心に深い傷を抱えているイヌたちにしつけやトレーニングをおこなうのでしょうか?

 

イヌたちが本当に必要としていることは安心できる環境です。

わたしたちがイヌたちにすることは生涯リハビリ(ケア)です。

 

悲しいことに、保護されたイヌが凶暴だからといい、強制訓練や陽性強化法トレーニングを受け、イヌの状態が悪化し、手に負えないという理由で殺されることがあります。

 

実際にはイヌが凶暴でないことがおおいと感じます。

イヌに対してのこの「凶暴」という言葉の見直しも必要ではないかと感じます。

なにをもって凶暴なのか、ヒトに危害を加えることがそうというのであれば、わたしたちがイヌや動物におこなっていることも「凶暴」ということになります。

 

イヌたちを凶暴と言い、イヌのせいにしてはいけないです。

わたしたちの認識や接し方次第だということです。

 

わたしたちの行いが適切でなかったことが原因であるにもかかわらず、それをイヌたちのせいにする。

 

犠牲になるのはいつもイヌたちです。

 

わたしも経験がありますが、数年もの間、施設にいるイヌがいました。

そのイヌは扱いがむずかしいといい譲渡は難しいと言われていました。

興奮するとヒトに飛びつく、服を引っ張るなどが言われていました。

 

保護団体やトレーナーがそのイヌに関わっていましたが、誰一人そのイヌを落ち着かすことができませんでした。

 

わたしはイヌにどのような接し方をされていたのかを聞きました。

すると、イヌが興奮することや接し方、コマンドに従わせるといったことをしていたのです。

このイヌは拘束道具を二種類つけられていました。

それではイヌはますます興奮し、ストレスが蓄積して状態は酷くなるばかりです。

実際、興奮は酷くなっていると言っていました。

 

イヌはとても苦しかったと感じます。

 

イヌが興奮する理由がおおくあり、環境や接し方を変え、整えなければいけない状況でしたが、誰もそのことを実践しませんでした。

 

拘束状態でよく耐えているなと感じていました。

精神を保つことすら困難な状況で、イヌは誰にも気持ちを聞いてもらえずどれだけ苦しかったことだろうか。

 

心身ともに深く傷つき、非常に疲れ、絶望的になっているイヌにヒトが「言うことを聞きなさい」ということはあまりにもひどいことだと感じました。

 

イヌが苦しくて「もうやめて!」「イヤだ!」という気持ちをわたしたちに伝える(唸る、咬むなど)ことをヒトは「なにはむかっている」と感じ、よりイヌの気持ちを抑え込んでいることをわたしは見たことがあります。

 

悲惨な状況でした。

 

イヌは必死で「やめてほしい」と言っています。

しかし、ヒトはそれを力で抑え込む。思い出すだとどきどきします。

 

わたしたちヒトがイヌたちにしつけや訓練、トレーニングをするのはイヌをコントロールしたいからだと感じます。

 

支配からよい関係は築けませんし、苦しむのはイヌたちです。

 

コントロールされてうれしい動物はいないのではないかと感じます。

 

わたしたちヒトがイヌにおこなう行為がイヌや他の動物たちを苦しめ続けていることにわたしたちは気付くことからだと感じます。

 

イヌやネコたちの自由を奪い、行動や感情、意志なども奪う行為は今すぐに見直さなければいけないことですが、イヌやネコたちを監禁したり暴力を与える、精神的な苦痛を与えることが当然だという認識では見直すスタートもきれないなと思いました。

 

わたしたちは動物愛護、福祉先進国の知識の情報を知ることができます。

それを実践するにはどうしたらようかわたしたちは懸命に考えなくてはいけないと感じます。

 

「これは出来ないなー」「ここまでイヌに配慮しなくてもいいんじゃないか」ということではいつまでたってもわたしたちの社会は動物愛護、福祉先進国になれず、その間にずっと苦しみ続ける動物たちがいるということになります。

 

このようなことは「できないなー」ではなくわたしたちが「作っていく」ものです。

何もしないで、できないはナシだとわたしは感じます。

 

今の状況を見直し、動物愛護、福祉先進国から学び、イヌやネコたちの苦しみを軽減できるよう、イヌやネコ、動物たちを心から大事に思っている人たちが、お互いたくさんの意見やアイデアを言い合い、その時一番いいということを形にしていけたらいいなと感じました。

 

イヌと暮らすのも、イヌたちを保護するのもわたしたちです。

誰かにイヌ育てをしてもらうのではないのです。

 

わたしたちはイヌや別種と関わるとき、大きな責任を伴います。

 

イヌやネコ、動物たちがヒトによって酷い扱いをされないためにも、わたしたち個々の知識向上が欠かせないと感じています。

 

わたしたちの知識向上がイヌやネコ、動物たちに安らぎを感じ、快適に暮らしてくれることにつながります。

 

どんなときもイヌやネコ、動物たちの利益を追求し、それを少しでも実践出来るよう、わたしたちは進んでいかなければいけないと感じます。

 

ヒトに苦しめられる動物たちの声を聞き逃さないようにしたいと思いました。

 

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