原市沼には、戦闘機が沈んでいる――

 

私が伊奈町に引っ越してきてから、何度かこのような話を聞いたことがあります。

「超軽量動力機」という小さな飛行機を操縦することがある航空機好きの私にとっても、この話は以前から気になるものでした。

 

この言い伝えには、私が聞いた中ではいくつかのパターンがあります。

パターン①戦闘機が原市沼に墜落して、引き上げようとしたけど、沼が深すぎてできなかった。

パターン②零戦が原市沼に墜落したが、沼が深く引き上げられなかった。

パターン③原市沼には墜落した零戦がどこかに埋まっている。

 

まとめると、原市沼に墜落した戦闘機を当時引き上げることができず、沼のどこかに埋まっているものです。

 

このことについて、言い伝えが本当にあった出来事であり、機体が仮に埋まっているならば、これから本格的に原市沼に調節池を整備する事業を行うにあたって、これに注意する必要があるからです。

 

現状、伊奈町と上尾市の境にある原市沼の「中の池」や「下の池」という箇所については、調節池の整備が進んでいます。

一方で、原市沼で一番広い箇所である「上の池」については、調節池の工事はこれから進めることとなります。

 

調節池の整備は、この急激な気候変動と異常気象に対応し、私たちの生活を守るためには必要です。

一方で、原市沼はまだ分からないことも多く、埋蔵文化財などが埋まっている可能性もあります。

もちろん、生態系の保存も欠かせません。

 

原市沼の調節池整備においては、治水機能と文化財保護、生態系保存の3つの両立を図ることが求められます。

 

こうした経緯も含めて、先日開催された上尾・伊奈広域行政協議会で提言を行うため、原市沼に戦闘機が墜落したという言い伝えについて調べました。

 

 

原市沼に埋まる戦闘機の言い伝えの真相

 

結論から述べますと、調べた限りでは、原市沼に戦闘機が墜落したという情報を見つけることはできませんでした。

しかしながら、原市に戦闘機が墜落したというのは記録として残っていることが分かりました。

 

大東亜戦末期、戦艦大和が沈没した日には、上尾上空でも防空戦闘がありました。

昭和20年4月7日(土曜日)のことです。

その日、相模陸軍飛行場(現在の神奈川県愛川町に所在)から、第一錬成飛行隊の山本中尉が四式戦闘機に搭乗し、当地を離陸しました。

当時、22歳の山本中尉は飛行隊の中隊長を務めておられました。

ひとに優しく、部下の指導で手を出すことは決してしなかったそうです。

 

そして、搭乗した四式戦闘機は、「疾風(はやて)」と呼ばれていました。

中島飛行機が開発した戦闘機で、米軍からも非常に高い評価を受けた機体でもありました。

四式戦闘機(第一錬成飛行隊中隊長機)

四式戦闘機(第一錬成飛行隊中隊長機)のイメージ図(筆者作成)

 

離陸後、山本中尉の操縦する四式戦闘機は、相模飛行場から北東方面へと向かいます。

マリアナ基地から発った米第20航空軍のB29と、それを護衛するP-51マスタングの組み合わせが爆撃のため東京方面へ向かっていたからです。

 

その後、山本中尉がB29と接触したのは、相模飛行場から約55km離れた上尾上空でした。

山本中尉は防空のためB29に体当たりを行い、これを撃墜したのです。

しかしながら、搭乗した機体から緊急脱出する際に、パラシュートが開かなかったのです。

山本中尉が墜落した場所は、原市の畑でした。陸軍士官学校を卒業し、22歳の若さで、と思うと本当に心が締め付けられます。

 

戦後、原市の地元の方々がその場所に石碑を建てました。

現在はその場所に碑はございませんが、沼南駅寄りの原市の第二産業道路沿いに石碑は今もございます。

 

なお、山本中尉が搭乗された四式戦闘機と、撃墜されたB29については、墜落地点の記録を発見するに至りませんでした。

 

 

原市沼に残されている可能性

 

仮に言い伝えが、この出来事を指しているのならば、四式戦闘機やB29の破片、遺留品等が原市沼に残されている可能性があります。

 

原市沼調節池の整備事業の説明会では、実際に住民の方からもこの件についてご意見があったと最近伺いました。

地域の言い伝えとしてよく耳にするだけあって、地域の関心も高いのではないでしょうか。

 

工事での掘削では、現場でもこの出来事や言い伝えを共有していただきたいと思います。

 

そして何かしらの発見があった場合は、機体の一部であれば保存し、遺留品であればご遺族への返還等のご配慮をいただきたいと願うばかりです。

 

 

筆者:冨井

 

 

追記

令和6年7月11日更新

 

戦前から原市に住まわれていたご親族がいる方から有力な情報を得られました。

戦時中、10歳のときに、戦闘機が今の沼橋あたりの原市沼に墜落したため、実際に見に行ったという話を聞いたことがあるとのことでした。

昭和10年生まれとのことでしたので、10歳ですと、単純計算で昭和20年となります。この言い伝えが、記録に残るB29から上尾を守った四式戦闘機の出来事を指している可能性は高いと言えそうです。

 

 

原市沼の戦闘機につきまして、情報等お持ちでしたらコメント頂けたら幸いです。

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