日ソ共同宣言発効65周年
1956/12/12-2021/12/12

 

本日2021年12月12日は、日本国と今のロシア連邦の前身にあたるソヴィエト社会主義共和国連邦との間で外交関係が回復されてから65周年となる。65年前の1956年12月12日、日ソ両国は日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(日ソ共同宣言)の発効という形で、両国の戦争状態を終了し、外交関係を回復した。

 

日ソの外交関係回復に至るまでの道のりは長いものであった。1951年9月4日より8日まで開催されたサンフランシスコ平和条約の講和会議にソ連は出席したものの、この平和条約にソ連が署名することはなかった。その主な理由としては、中華人民共和国が講和会議に招聘されなかったためである。これにより、日ソ両国がサンフランシスコにおいて平和条約を締結するには至れなかった。

 

本格的に日ソ両国が平和条約締結に向けて交渉を開始したのは、1955年6月3日の第一次ロンドン交渉からであった。当時日本は、ソ連との間で多くの問題を抱えており、国交正常化問題をはじめ、抑留者引揚問題、北方海域における漁業問題、国際連合加盟問題、そして領土問題など山積みであった。日本の全権団はこれらの問題を踏まえてロンドンでソ連の全権団と交渉を進めていくが、領土問題をめぐって両国の交渉は頓挫、1955年9月21日をもって日ソの交渉は一度休止となった。

 

交渉の再開は、翌1956年1月17日からとなった。

だが、第二次ロンドン交渉においても、歯舞群島と色丹島の日本への譲渡が最大の譲歩とするソ連側の主張と、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島返還を主張する日本側で大きな隔たりがあった。

 

かくしてロンドン交渉では、領土問題以外の他の平和条約草案中の条項については、日ソ両国間でほとんど意見が一致したが、領土問題の存在によって交渉は1956年3月20日をもって無期限の自然休会という結果に終わったのである。

 

再度、日ソ間で平和条約締結交渉が再開されたのは、1956年7月31日の第一次モスクワ交渉からであった。

交渉が再開された理由としては、北方海域における漁業問題を解決させるためには、両国間で国交正常化の必要がでてきたからである。

 

第一次モスクワ交渉においては、当時の日本の外務大臣であった重光葵が全権団の代表として交渉にあたった。重光葵は、終戦時に戦艦ミズーリにて降伏文書に調印したいわば大ベテランの外交官である。また彼は、戦前は駐ソ大使であったが、ハサン湖事件などもあり、対ソ強硬派としてしられていた。当然、この交渉においても最初はソ連に対して強行的な姿勢を見せたが、領土問題で議論は尽くされ、かつ平行線を辿ったこともあり、1956年8月12日に色丹島と歯舞群島の二島で決着をつける姿勢を見せた。しかし、これには、共に外交交渉にあたった松本俊一や政府は承服できないと却下する。加えて、米国のダレス国務長官は8月19日に重光葵に対して、国後島と択捉島をソ連領とするならば、沖縄を米国領とすると主張した。いわゆるダレスの恫喝である。これにより、重光葵が全権団の代表を務めた第一次モスクワ交渉は、失敗に終わったのである。

 

こうして、いよいよ日ソ平和条約締結の雲行きが怪しくなってきたこともあり、ついに、首相である鳩山一郎本人が、ソ連と直接交渉をするという決意をみせた。そしてそれは実現し、第二次モスクワ交渉は本格化する。第二次モスクワ交渉では先ず、領土問題の解決が難しいことから日ソ平和条約締結を断念し、現実的な国交正常化案を模索することとなった。こうして、1956年10月15日にはソ連側が「日ソ共同宣言案」を日本側に提示した。日ソ共同宣言の誕生である。この日ソ共同宣言案を両国間でブラッシュアップし、その4日後の1956年10月19日に「日ソ共同宣言」はついに日ソ両国間で調印されたのである。

 

その後、日ソ共同宣言は、1956年12月5日に国会で承認された。その二日後である7日には、批准の内閣決定がなされ、翌8日には、批准書が認証された。それから同年12月12日には、本宣言第十項に従い、東京で批准書交換がなされ、日ソ共同宣言は公布、効力が発生したのである――

 

あれから65年、いまだに日本国とソ連邦の継承国であるロシア連邦との間で、日露平和条約は締結されていない。

 

日ソ共同宣言の外交努力を無駄にしてはならない。日ソ共同宣言に込められた日ソ・日露の平和と友好への想いを無駄にしてはならない。

 

僕らがすべきことは、日ソ共同宣言を知り、議論し、理解すること。

 

日露両国間の抱える平和条約締結問題や領土問題を解決する鍵は、日ソ共同宣言に間違いなくある――

 

↓日ソ共同宣言の全文はこちら↓
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-shiryou-001.htm?fbclid=IwAR0B-C3YfFxs1HXBq0VkMXJvRKXEdH3cQ7AcU56uLXDoYfGXjq6bJb2Nh_0

 

 

日ソ共同宣言発効65周年を迎えて

令和3年12月12日

冨井 篤弥