映画「ラーゲリより愛を込めて」を鑑賞して ~ソ連とロシア、変わらない闇の部分~(感想)

 

ロシアのウクライナ侵攻から10か月近く経とうとしています。

 

こうしたなか、辺見じゅん著のノンフィクション「収容所から来た遺書」を題材にした映画「ラーゲリより愛を込めて」が公開されました。南満州鉄道株式会社調査部に勤めていた山本幡男のシベリア抑留をテーマにした実話に基づく物語です。

 

この情勢のなかで公開された本作ですが、意図的なものはなく全くの偶然でした。それは、本作の企画自体はコロナ禍以前であり、撮影も昨年の10月下旬から12月下旬であったことからも分かります。無論、2014年のロシアによるクリミア併合の時代から、ウクライナとロシアとの間で緊張が高まっていたのは事実です。しかし、戦争が始まるまで、まさかこんなことになろうとは思ってもいませんでした。

 

そして、ウクライナ侵攻においても、ロシアはウクライナのひとびとをロシアへ強制連行するというジュネーヴ条約違反、つまり戦争犯罪を平然とおこなっております。ロシアのウクライナ侵攻後、ロシアに強制連行されたウクライナの人の数は90万人~160万人と言われています。その中には、シベリアや樺太(サハリン)に強制連行された人もいるようです。21世紀の今この時代においてもシベリア抑留と全く変わらないことが起きているのです。本当に許せません。

 

ゆえに、本作は複雑ながら、この時代のために生まれてきたような映画となりました。

 

本作は、ソ連がおこなったシベリア抑留について、事の発端であるソ連の対日参戦から、シベリア抑留者の最後の集団帰国まで、かなり丁寧に描かれている作品です。映画の感想はネタバレ抜きでは語れないので割愛しますが、シベリア抑留の理不尽さや残酷さ、過酷さがとても伝わりました。戦後、ソ連国内に抑留された日本人の数は、57万5000人にのぼると言われ、そのうち5万8000人が亡くなったと言われています。おおよそ10人に1人が命を落とすと考えていただければ、その恐ろしさが分かると思います。加えて、抑留先の収容所(ラーゲリ)によっても、待遇に大きな偏りがありました。本作はその中でも特に、過酷な衣食住で過酷な労働を強いられた抑留者たちを描いた物語となっております。

 

このようなソ連がおこなったシベリア抑留は当然ながら、国際法に違反した戦争犯罪でした。ソ連が参加したポツダム宣言の第9項においては、「日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。」とあり、シベリア抑留はこれに違反しているのです。

 

しかし恐ろしいことに、シベリア抑留を始めた当時、ソ連は捕虜の人道的扱いを定めたハーグ陸戦条約やジュネーヴ条約に加わっていませんでした。それはつまり、条約に加わっていないので、捕虜をどう扱っても国際法違反にならないということです。無法地帯なのです。条約に加わっていないので、ソ連国内でそういった人権意識が醸成されないのは明らかでした。事実、大戦中に国籍問わずソ連国内で捕虜になった人々は残酷で惨憺たる運命が待っていました。そういったソ連国内の風土を前にポツダム宣言は悔しくも全く無力だったのです。

 

けれども、元からそのような風土であった訳ではありません。

 

ソ連になる前のロシア帝国は、1867年にジュネーヴ条約、1899年にはハーグ陸戦条約に加わっていたからです。そして、日露戦争の時代には、日本兵捕虜はシベリアではなく、サンクトペテルブルクの南方に位置するメドヴェーチ村に収容されました。収容された日本兵の生活は決して豊かではないものの、三食の食事や、生活費の支給、村内への買い物の時間も与えられていました。また、シベリア抑留に見られた苦役や強制労働はなく、当時の国際法に基づいたものでした。

 

そうした人権意識は、共産革命であるロシア革命以降に崩れていったのです。ソ連がジュネーヴ条約やハーグ陸戦条約を拒否したからです。結局、第二次世界大戦からしばらく後の1954年になってから、ソ連はジュネーヴ条約に加わりました。しかし、前述の通り、その間に悲惨な出来事が多発しました。そして、ソ連の継承国となったロシアも今、ウクライナ侵攻で同じ過ちを繰り返しています。

 

今のロシアは、ソ連時代を賛美するような政府によって運営されています。それは本当に「ロシア」なのでしょうか? ソ連を引きずるロシアというものを強く感じる今日この頃です。

 

さて、作品の話に戻りますが、「ラーゲリより愛を込めて」の企画プロデューサーである平野隆さんは、「出口の見えない閉塞感の真っ只中にある2022年、傷つき、苦しみ、希望を見いだせなくなった方々に是非観てもらいたい、心からそう思います」と公式サイトで述べています。このことから本作は、生きる希望を持って欲しいというメッセージが込められているのでしょう。ですが、僕は安易にこの作品を他の方には薦められません。

 

シベリア抑留とウクライナ侵攻における強制連行、歴史は繰り返しています。そのことに、非常にやるせなさを感じてしまうのです。ウクライナ侵攻がなければ、まだ薦められたかもしれませんが、こうした情勢の中で、この作品は非常に重いです。つらすぎます。

 

ただ、北方領土問題に携わる方には絶対に見ていただきたい映画です。

 

映画の最後に抑留者の方々が解放されるシーンがあります。これは、日ソ共同宣言が1956年12月12日に発効され、同宣言の第5項に基づき解放されたのです。この日ソ共同宣言の締結までの交渉は、日ソ間の北方領土問題により非常に難航しました。1956年3月20日には、二島が最大の譲歩とするソ連と、四島返還を求める日本という両者譲れぬ状況により、両国の交渉は無期限の休会となるほどでした。結局、両国間の北方海域での漁業問題によって交渉は再開され、日ソ共同宣言は締結されました。しかし、もし交渉が再開されなかったら、または領土問題がこじれて締結に至らなかったらと思うと非常に恐ろしいです。ラーゲリに不法に収容された多くの日本人の命よりも、国後島や択捉島のほうが大切なのでしょうか?

 

抑留された方々の命を不安な状況に置いてもなお、今に至るまで一島たりとも日本に引き渡されない現状に、憤りを感じます。