本日3月11日は、平成23年に発生した東北地方太平洋沖地震の発生から13年目の年です。

 

今日、発生時刻となった14時46分には、伊奈町役場から黙祷を捧げました。

伊奈町議会では一般質問が行なわれておりましたので、その合間に行いました。

 

13年前の今日はまだ中学校を卒業したばかりで、つくば市の当時あった自宅にてこの地震に遭遇しました。

この大地震、そしてその後に起こる福島第一原発事故などを中学から高校に変わるタイミングで経験し、そこから僕が得たものは、地域(ローカル)を大切にしようという考えでした。

国際化の時代とまだ当時はかなり叫ばれていましたが、それよりもふるさとを大切にしたい。

そしてみんなにも大切にしてほしい。

この街、この地域、この国を支えることをしたい。

そういう想いがこれまで以上に強くなり、それが、高校一年生から始めた、まちづくり活動にもつながりました。

 

そう言う意味では、明らかに人生の転機と言えるできごとでした。

 

ただ、それは僕自身から見たできごとです。

構造から実存の種を得たのです。

 

震災以降、被災地にも何度か足を運びました。

特に浪江町は、発災から数年後に初めて訪れましたが衝撃でした。

「いつも」が奪われる、日常が停止してあの日のまま閉じ込められてしまう。

その光景を目の前に、誰もいない街のある角で立ち尽くしました。

動くものがない。風もなければ、音もない。耳鳴りがするくらいにです。

しかし、もし地震や津波、そして原発事故がなければ、そこで時間が止まることはなかったでしょう。

 

今でこそ、再びその時間の針は動き出しました。

浪江町では明るいニュースもあります。

しかしながら、失ったものは大きいです。大きすぎます。

 

あの震災が起きて、学んだ人、目覚めた人、心を新たにした人、沢山いらっしゃるかと思います。

僕もその一人です。

 

しかし、失ったものに目を向ければその被害は計り知れません。

あの出来事がなかったことにできるならば、あの光景を見れば、そうして欲しいと思います。

 

現実には非情にもそれはできません。

起きた出来事は変えられません。

 

震災が転機となった僕や僕らができることは、当時の心境の変化をこれからも大切にし、人生の道としていくことです。

この震災で「忘れないこと」、「風化させないこと」という言葉をよく耳にしますが、そこには、そういったメッセージも含まれているのかもしれません。

 

令和6年3月11日

冨井 篤弥