「じゃんぼ」はどんな意味?とか☆京都お墓参りーその3知恩院
2024年 令和6年 平成36年 昭和99年 大正113年 明治157年
GW後半始まりましたが
如何お過ごしでしょうか
お庭の植え替えをしようと
朝顔の苗を買いに行ったら
全く売っていなかった~
パンジーを後退させ
ゴーヤ、トマト
万願寺唐辛子
パプリカ、を植え込み
その他夏用のお花も少々。。
今日はツルが延びすぎた
藤を✂整理する予定
「都道府県クイズ」コーナー
こたえは一番下に
ランダム雑学
下着のパンツが複数形の理由
下着のパンツ(pants)やトランクス(trunks)は、どちらも単体なのに英語では複数形の「s」が付く。
その理由は、もともと2枚の布で作られていたからである。今の下着の原型が作られたのは19世紀初頭のこと。当時の下着はドロワーズ(drawers)とも呼ばれ、2枚の布で足を包んだだけの簡易的なものだった。その布の枚数をカウントして下着には複数形の「s」が付くようになったとされる。
ちなみに、女性用の下着にはパンティー(panties)という名称もあり、男性用の肌に密着する下着としてブリーフ(briefs)もある。
父のお墓参りに京都へ行ってきました
2024.4.25(木)
ランチを済ませた後は
ーつづきー
満腹のお腹をさすりながら
テクテク
信号渡れば知恩院さん
知恩院さんも寄りたいのですが
マミーの体力を考え
もう少し小じんまりした所に行きます
目的地は知恩院さんのお隣なので
ココを通って行こうと思います
うん、ご立派
いつか寄らせていただきます
表千家の献茶会が行なわれていたようです
もしかして、ブロ友Cさんがいらっしゃるかも。。。
とキョロキョロ
でも、2時過ぎてるし
もう終わっちゃっているわよね
お着物の方も、ちょっと目にしたけど。。。
やたら派手なバスが横付け
テクテク
あら?
蓮如さまはコチラでお生まれに?
おぉ
父と同じ所にお眠りの
親鸞聖人さまは
元はコチラに御廟所が。。。
何も知らないヤツ😅
んん?
特別拝観 お茶室?
あっ!ココ?
目的地に到着したようです
お茶席、この日はお休みでした
ちょどお向かいに気になる店舗あり
まだお腹いっぱいだから
もしかしたら、見学後お茶しに寄ってみるかも。。。
ココから入るのね
左は「植髪堂」
「青蓮院門跡」(しょうれんいん)は天台宗の三門跡寺院のひとつ
「植髪堂」(うえがみどう)は親鸞聖人を顕彰するお堂
本尊は親鸞植髪像
親鸞が得度したときに剃髪した髪を植えた像であると伝わっている
とりあえず、右に曲がって殿舎庭園拝観を
修復中?
入口はコチラのようです
延暦寺に建てられた僧房の一つ 青蓮坊は、伝教大師 最澄、慈覚大師 円仁(えんにん)、安慧(あんね)ら歴代の著名な高僧が住んでおり、東塔の中心的存在だったという。
青蓮坊十二代 行玄(ぎょうげん)に帰依した鳥羽上皇は、自身の第七皇子を行玄の弟子とし京都に殿舎を造営。
この建物は青蓮坊の名をとって青蓮院と名付けられ、覚快法親王が行玄の後を継いで二世門主(もんす)となって以降、門跡寺院として繁栄した。
なお青蓮院の起源となった延暦寺の青蓮坊も室町時代頃までは存続していたとされる。
青蓮院は平安後期から鎌倉時代初期、八世 慈円の頃に最盛期を迎えた。慈円は日本初の歴史哲学書「愚管抄(ぐかんしょう)」や和歌集「拾玉集(しゅうぎょくしゅう)」の著者としても名高い名僧である。
応仁の乱(1467 〜 1477)で荒廃した後、豊臣秀吉の尽力によって再興。
江戸時代に徳川家が知恩院の再建、改築を進めるにあたり寺領は削減されたが、東福門院の旧殿を移築して宸殿を造営するなど当寺の再建にも貢献している。
明治二十六年(1893年)に火災にあい、現存する建物のほとんどはそれ以降に復元したもの。
また天命八年(1788)に御所が火災にあった際、後桜町上皇の仮御所となったことから「粟田御所」とも呼ばれている。
拝観料一人600円
建物内はお写真NGとのことでした
華頂殿ではハスの襖絵が見られます
(画像お借りしました)
お部屋内からお庭の写真はOKとの事
この後実際にお庭に出て歩いてみたいと思います
ーつづくー
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お酒、お供えしちゃってるわ
命日やお盆の時だけだけど。。。
だって、生前のお約束だから。。。
「なみなみ注いでくれよ」と言われてますので。。。
クイズのこたえ