朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -127ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

幕張メッセのオートモビル・カウシルとか銀座のアンティーク時計フェアとか行きたいイベントがあった先週末、またもや年に2回ある会議の1回目が組まれてしまったのであった。

2年前は発表するパワーポイントの表紙をその為にキャンセルした佐渡の海にし、今回はMGAにしたのはほんの小さな抵抗である。

さて、気分を変えて午前中に中途半端な時間があったので、町田に行きました。



武相荘
042-708-8633
東京都町田市能ケ谷7-3-2 
https://tabelog.com/tokyo/A1327/A132701/13178230/

武相荘とは、旧白洲次郎・正子邸の名称であるが、現在はそれをミュージアムとカフェにして公開している古民家である。

ここはオープンカフェのスペースで、テレビからは某国営テレビ制作の白洲次郎・正子夫妻の美に関するビデオが繰り返し流れている。

ここでカフェ&レストランの開店時間を待つことにしてのは、ミュージアムの展示が前回来た時と変わってないからである。



この車は、白洲次郎が中学時代に乗り回していたペイジ(現車ではなく同型車)。

白洲次郎については数年前に亡国営テレビでドラマ化したからあれ見たら知ってるだろうし、そうじゃなかったら調べてくれればわかるから省略しますよ。



立派な門である。この門を潜ると右にレストラン。

ちなみに正面に見えるのは、臼を利用した新聞受けで、こういった物は白洲正子のアイデアと思っておけば間違いない。



奥に母屋だった現ミュージアム。大きな柿の木の根本にはPLAY FASTと書かれた板があるが、バーの名前がPLAY FAST 。レストランの手前の建物がそれ。



2階がバーになっていてお酒が並んでいるが、ここにはもっとも愛飲したであろうブラックボトルが見あたらない。



1階には農機具が並んでいる。実際に白洲次郎が使っていたという。



レストラン 武相荘と、PLAY FAST(右)。

PLAY FASTとはゴルフのマナー。ちんたらしてないでとっとと打て!ってことだけど、白洲次郎ほ軽井沢ゴルフ倶楽部の理事をしていた時に、このPLAY FASTの文字を入れたTシャツをわざわざ作って着るのみならず、販売もしていたという。



11時ちょっと前にフライング開店となったレストランの店内である。

次郎は写真なのに正子は肖像画なんですね。



テーブルとメニューである。中身はホームページと同じく、料理がイラストになっている。



海老のカレーである。キャベツの千切りは白洲次郎の好みでカレーをかけて食べていたことに習い、ドレッシングなどかかってはいない。

スパイスから作るカレーなので、どことなく知る人ぞ知る弁慶カレーに似ているようで、出汁といったら良いのかこくといったら良いのかわからないけど、そんなところが違う。

よく白洲次郎お気に入りのカレーと書かれた物があるが、白洲正子の兄である丑二がシンガポールの友人宅で食べて気に入り、そのレシピを持ち帰った以後、白洲家のカレーはこれになった以上のことは、メニューには書かれていない。



ランチを食べるとコーヒーは200円である。ミルクも砂糖も使わないが、使わないとみるやあっという間に下げられていった。



庭の入口より先はミュージアムのチケットを買わないと入れないからこれは前回の写真。ちなみにミュージアム内は撮影禁止である。



裏山の入口には鈴鹿峠の石塔。これは夫妻の新婚旅行での霧の鈴鹿峠で正子が車から降りて徒歩で先導して次郎の運転するランチャを誘導し、ようやく峠が越せたという出来事に因んで、正子がここに置いたという。

なぜ今白洲次郎なのかというと、東京電力の原発はああなって、東北電力の原発はああならなかったのは東北電力の会長が白洲次郎だったことが東北電力という会社には生きているからだということが書かれていたものを読んで、本当にそうなのか興味を持ったからさ。

ね。

島原の続きです。



輪違屋から角屋に向かう途中に、なんとなく雰囲気のある建物が見えましたので、正面に回ってみるとカフェバーでした。



きんせ旅館
075-351-4781
京都府京都市下京区西新屋敷太夫町80 
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260203/26015758/

でも木の立て看板には「IWASHI COFFEE」と書いてあったので、それが名前なんだと思って入店致しました。



中に入ったら「KINSE INN」と書いてありました。え、どっちなんだ?と思いながら、更に中へとの扉を開けるとforeignerのグループがテーブル席からこちらを見ておりました。

とりあえずカウンターがあったのでそちらに座ることにして、



受け取ったメニューは原稿用紙に、書いてありました。

この建物のことをお伺いすると、もともとはやはり揚屋だったのだそうですが、のちに旅館となり、祖母の代まで営業していたとのこと。



暑いのでハートランドビールをいただきました。

現在はカフェバーと同時に1組限定の素泊りの宿を営業しているそうです。



ステンドガラスが美しい。

IWASHI COFFEEさんはここで焙煎をしているようです。食べログで詮索すると店舗は閉店しているようですが、どうなっているのでしょうか。卸に専念しているのかな。これはあとで調べたから聞けなかったです。



和と洋の折衷度合いが歴史を感じさせてくれますね。

まだ庭までは手が届かない感じですが、良い雰囲気ですね。



本を読んでゆっくりも出来そうですが、のんびりしてると終電になってしまいます。

京都駅で手拭いを買って帰るんです(笑)。

ね。


シリーズ4回目、今回は日帰りで島原でございます。



大門を潜ると、花街でございます。実は丹波口の駅から歩いてくると中から来ることになるのですが。右手前には



石碑があり、島原の説明と和歌が刻まれておりまする。

島原7つの文芸碑のその1であります。



第1の目的地は、京の夏の旅、特別公開中の置屋兼お茶屋、輪違屋さんです。



輪違屋さんは現在も4人の太夫が在籍しており、営業をしております。(一見さんお断りですので、簡単にはお座敷遊びは出来ません。)

太夫とは芸妓の最高位を指しております。



1階は自由に撮影できますが、2階は禁止されています。



入口入って正面。左に向くと、ひとつ前の画像の、輪違いの暖簾と階段です。



主たる座敷の外側に見えるお庭。ここの右側がその部屋で、縁側には柱がありません。テコの原理で軒下を支えているのですが、お庭をすっきりと見せる工夫のようです。



お部屋には新選組 近藤勇の書を屏風にした物があります。



その昔、太夫が馴染み客に送った恋文だそうです。



こちらも同様。



何代目かわからないけど吉野太夫の書いた書の掛軸。



反対側の庭。右の灯篭は「キリシタン灯篭」といいます。



続いて歌舞練場跡の文芸碑その2に来ましたが、名残はありません。



こちらは「新選組刀傷の角屋」、角屋もてなしの文化美術館です。



門を潜って建物の入口に向かって、ここから右を向くと



新選組の刀傷があります。

戦った刀傷ではなくて、あまりにも金使いが過ぎたので、京伝統のいわゆるつけ払いをある時、急に禁止して現金払いにしたようなのですが、それで暴れて付けた傷という、けっこう情け無い傷であります。



松の間

芹沢鴨はこの部屋で大宴会を仕組まれて、帰ってから暗殺されました。

花街では、どんなに酔っ払っていても、泊まることは許されていなかったそうです。

さて、建物は撮ってもいいけど、陳列してあるものは撮影禁止です。と、言われても、どこから良くてどこからダメなのかよくわからないですよね。



松の間の名前の由来、臥龍松。

奥に茶室が見えますが、角屋は揚屋さん。揚屋とは、料理を作って提供をするとか、茶室があるとかいくつかクリアするのには条件があるようです。

ちなみに茶屋は仕出を取り寄せて、料理はしません。



こちらも宴会をする部屋。格子戸と簾で外からは中は見えないけど、中からは外が見える仕組み。

この広さで柱がないので、現在の基準からするとかなり危ないようですが、2階にも宴会をする部屋があります。どうやら特別公開期間は逆に上がることが出来ないらしい。

実は揚屋という名前は、2階にメインの宴会場があって、そこにお客を揚げるところから来ているようです。



左の石は富士山に見立てているそうな。右奥、灯篭の背後の井戸は今でいうオブジェで、滑車は陶器で出来ていて本物の井戸ではないんだそうな。



料理をするためにいくつもの竃が並んでいる。



右が帳場。



角屋は長州の久坂玄瑞が密議を重ねた場所でもある。



東鴻臚館跡の石碑と文芸碑その3。



島原住吉神社と



文芸碑その4と写真を撮る人。



その隣には島原西大門がここにあったことを示す、文芸碑その5。



島原住吉神社の境内に併せて祀られている幸天満宮。



幸天満宮の文芸碑その6。



背後に神木の大銀杏。もともとはここは島原住吉神社の境内だったそうだけど、実は明治維新の廃仏毀釈にあたり、社格株を持っていなかった島原住吉神社は廃社されてしまったそうです。その後明治36年に再興されたのですが、この大銀杏は境内から外れてしまいました。

今は根元には弁財天が祀られています。



大銀杏と文芸碑7。

誰か弁慶を、一見さんじゃなくしてください(笑)。

ね。

さて、京都に戻ります。

京都シネマで映画を鑑賞したあとは、山鉾巡りですが、御朱印をもらって回ることはやめました。 

まあ、旅とはそんなものではありますが、当初の計画は2日間とも街中にいるはずだったところが、比叡山に行ったり映画を観たりシチクガモリにも行ったり予定にない活動が増えてしまったので、どこかを縮小しなければならないわけであります。

それに、こんな炎天下で御朱印の行列待ちながら山鉾を回るのは流石に厳しいだろうし。



長刀鉾

最初に見つけた長刀鉾は実は映画より前でこの行列。なんの行列なのかといえば、御朱印だったり売店で縁起物を求めり、はたまた山鉾に乗ったりする為であります。



孟宗山

こちらは山です。



西谷鉾



西谷鉾の売店は凄い人気でした。

ところで、売店で売ってるちまきって食べる物とそうじゃないものがあるんですね。もともとは食べない物だったらしいけど、素人は食べるちまきしか、思い浮かばないよね。

先日、島原を歩いていたら軒先に「厄除けの粽」があるのを見ました。



山伏山

山伏がいた(笑)



霰天神山

もうね、この辺でペットボトル1本目を消費かな。汗が滝です。右側に人気店があってすごい行列ができてました。

この豚饅ってところ。



放下鉾



郭巨山

あれ、なんか貼り付けた順番がぐちゃぐちゃになってるけど、どうせあんまり書く事ないから、いいか(爆)



四条傘鉾

傘鉾はもう一つあったけど、こっちは番傘。



芦刈山



油天神山

自転車乗りの性で、自転車写し込んだ写真を撮りたがるのは京都も共通らしい。



木賊山



菊水鉾

この画像が5番目にあったはずなんだけどな(笑)



占出山



占出山の故事にちなんで、祇園祭りの期間にだけ売られる吉兆あゆ。お菓子ですが、お値段はプレミア載ってる感じなのかな。



太子山



岩戸山



船鉾


 
船ですね。



伯牙山



綾傘鉾


  
もうひとつの傘鉾、綾傘はこんな形です。



白楽天山



鶏鉾



月鉾

て、終了!

いやー、暑かったからね。確認したつもりなんだけど、2つ抜けてる。

まあ今回はどんなところでどんなことやっててどこら辺がどのくらい混むとかだいたいわかったから、良しとしておこう(爆)。

そのうち御朱印貰いながら回りましょう。

ね。