大刀洗平和記念館 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

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朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

有馬(兵庫)にジャズ(大阪)に歌舞伎鑑賞(京都)と関西圏の盛りだくさんの旅から九州に戻りましたところ、おおきに財団から秋の祇園東の踊りと年末のおおきにパーティーの申込用紙が届いておりましたので、スーツを新調しようと思いました(爆)。


あまり脈絡のない話っぽいとどめを刺すとすれば、その為にみやま市(かなり遠い)に行くので、ついでの寄り道の旅に出ました。意味がわかりませんけど😅。



大刀洗平和記念館


大刀洗には大刀洗陸軍飛行学校があり、その分校が有名な知覧分校なのです。



零式艦上戦闘機



コックピットも覗けますが、なかなか窮屈な感じです。



旧陸軍九七式戦闘機。陸軍の特攻に使われた機種です。



そして震電実物大模型


ゴジラ−1.0で実際に撮影に使われた模型だそうです。



特徴は後ろにプロペラがあることです。



震電はB52を迎撃する目的で開発されました。高高度、高速での飛行を可能とする為にこのような形状を考えたわけです。


実は零戦は性能が優っていたわけではありません。劣っていたので、薄いアルミと布で作られ、その軽さで米軍機の性能を凌駕したのです。逆にいえば防御については何もない消耗兵器的な側面が当初からありました。この震電はそれでは運動性能に耐えられないので、全てジュラルミンだったそうです。


初飛行に成功したのは1945年8月の事でした。そしてすぐ終戦を迎えたわけです。機体は分解されアメリカに運ばれて、2度と空を飛ぶ事はありませんでした。



朽かけた木にうっすらと第五航空教育隊 西部第百部隊 空五七三部隊 跡と書いてあります。


道を隔てた反対側には駅がありました。



太刀洗駅にも飛行機がありますが、その前に太刀洗駅。太いという字を使いますが、町の名前は大刀洗、大きいです。


もともとの語源は太刀に付いた血糊を洗ったことにあるようですね。意味を知ると恐ろしい名前です。



さて、本題に戻します。実は大刀洗平和記念館は、まだ歴史が浅く、その前身として建設業を営まれていた渕上宗重さんが旧駅舎を利用し1987年に個人で開設した旧記念館があったのです。


現在の太刀洗レトロステーションがそれで、今でも飛行機が残っております。


それを受け継いだ大刀洗平和記念館は、2009年に町立として新たに開設された物です。



甘木鉄道太刀洗駅のホーム。近隣にはキリンビールの工場があるので、どのようにしたら鉄道でこられるのか、ちょっと興味があります。



待合室です。今はのどかです。


ね。