逢坂 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

びわ湖浜大津におりまして、逢坂の関を目指して歩きます。


まず京阪が路面電車ではなくなるちょっと手前にあった寺から。



1465年、比叡山衆徒により打ち壊された本願寺の代わりに蓮如はこの地に親鸞聖人像を安置し顕證寺とした。その為10年後に山科に本願寺が再興されるまでの間、ここが実質的な本願寺であったそうで、現在は本願寺近松別院となっている。



銭湯があった。小町湯という。美人の湯かもしれない。


その角を右に入る。



狸が寝ていてお互いびっくりしあったが、彼は逃げた。長安寺宝塔。さりげなくあるが、国の重文と書いてある。鎌倉時代の石塔で、この一帯にあった関寺の、一般的には牛塔と呼ばれている。



長安寺は関寺の遺構にある唯一の堂とのこと。



本尊は牛仏。



小町供養塔。小野小町は晩年この辺りに住んでいたという伝承があるようだ。小町については、いろいろ訪ねたつもりだったが、ここはこの日まで知らなかった。



比叡山焼き討ちで埋もれた石仏は、ケーブル沿いに安置されているが、ここにも100体が移されて祀られている。


ここから石仏が並んでいる山の上の方に向かってしまい、線路沿いにあった寺院を素通りしてしまう😅。おそらく無数にある石仏も、この一帯が広大な関寺だった遺構ゆえなのだろう。


山を道なりに降りた来て国道1号線。



安養寺は事前に申し込まないと拝観できないようである。関寺の旧跡であり、蓮如上人の旧跡でもある。境内の立聞観音は東海道名称図絵などに記載されるなど古くから有名なんだとか。



逢坂山隧道はかつて東海道本線が通っていた。



関蝉丸神社上社



本殿。御祭神は蝉丸さん。だから芸能の神様。開催中の鴨川をどりの成功を祈願しました。蝉丸神社は他に下社と分社がある。



水車谷不動尊。初めて聞く名前だけど行ってみるよ。



水力のある湧水があった。



舗装路が途切れた。その奥にあるらしい。



水車谷不動尊。毎月の縁日には行があるという。



そんなこんなで逢坂の関所跡に到着。



清少納言の逢坂の関を歌った歌碑



三条右大臣の逢坂山を歌った歌碑


三条右大臣とは藤原定方のことで、家系的には紫式部の出た家系。



そして蝉丸さん。


あまり人の行くよつな場所ではないけれど、青紅葉が綺麗だった。青紅葉を求めて人の大勢いるところに行くくらいなら。


ね。