旧三本木花街から五花街へ | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

逃げ足の早かった桂小五郎は、当時花街だった三本木あたりに潜伏していた。この辺りは長州藩邸も近く、いざとなったら加勢も呼べたし、逃げ込むことが出来た。何より、この花街には後に妻となった幾松が居た。幾松はここの吉田屋に席があった、踊りと笛の上手な人気の芸妓だった。


そんな三本木には、もうそんな面影は残っていないというけれど、一度行ってみようと出かけて行った。


木屋町通りを上がって行くと、一之船入の手前に石碑があった。これまで何回も通ったと思うが、ちょっと気が付かなかったのが不思議だ。



兵部大輔従三位大村益次郎公遺址


ここは大村益次郎が襲われた宿の跡らしい。大村益次郎こと村田蔵六は元々は蘭方医だったが、その卓越した語学力で外国の軍事を学び兵学者となり、長州藩の軍事近代化への功績は大きかった。


河原町通りで出て、さらに上る。


そして河原町丸太町の交差点を超えてから鴨川方面に歩いて二つ目の路地を上がると三本木である。



まず最初に見つけたのは頼山陽の書斎であった山紫水明處。ここは国定史跡で保存会があるようだ。そういえば丸山公園の奥の長楽寺に行った時に頼山陽の墓所があったなあと思い出した。


注意深く歩いて行くのだが、他に何も見当たらず



唯一残されていたのは、ここ。


石碑には立命館草創の地。そして右にある木の立札は、吉田屋跡を示すものだった。調べると諸説書いてあるのでよくわからないのだが、おそらく右側の集合住宅がある辺りに吉田屋があって、この石碑の裏あたりが料亭、清輝楼だったのではないかと思われる。立命館の前身となった京都法政学校が清輝楼の2階に間借りして授業を行っていたことから、この地を草創の地として100周年を記念してこの石碑を作った。



吉田屋の木札はずいぶん痛んでいる。


更に北へと上がって行ったらお寺があった。



圓通寺


浄土宗のお寺のようだが、観光寺院ではない。あとは何も見つからない。


河原町通りに出ると居酒屋があった。



三本木商店

075-255-2810

京都府京都市上京区真町478 

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26032695/


評価点の高い居酒屋さんであった。


そこからは昼過ぎの予定に向けて、ぶらぶらと歩く。



西国観音霊場の革堂行願寺は以前にも訪れている。



天台宗の大寺院だった大福寺は、色々な御朱印を展開していて、たびたび訪ねる。今回は角大師の限定御朱印をやっていたので、それ目的に訪ねてみた。


住職の奥さんと、元三大師専用御朱印帳を肴に歓談した。



寺町通りの古道具屋で物色し、



寺町京極のこちらはアンティークショップというほうが良いかな。こちらは通販で小皿を買ったことがあるけれど、実店舗ではまだ何も買っていない。



こちらも通販では買ったことが2回もあるのに、立ち寄っても何も買わないミリタリーショップ🤭



愛する人に先立たれることを大河ドラマで嘆いていた和泉式部が初代の住職となった誠心院には、



道長が崖をよじ登って参拝した金峯山を開いた役行者の石像、水かけの行者さんがある。



こちらは、骨董屋さんと呼ぶのが適切なお店。恐る恐る入ってみたら、奥さんが説明してくれた。次は江戸期くらいの蕎麦猪口あたりを買おうかな。



イベント会場に到着。こちらは麩屋町の三木半旅館さん。



この日のイベント、おおきに財団のおおきにパーティーは、今回初めて参加するのだが、友の会会員なので2,000円で参加可能。これに参加してしまうと暮れのイベントの割引が効かなくなるんだけれど、そちらは行けるのかわからないから、一泊の予定を二泊に変更して申し込んでみた。



全五花街から総勢9名の芸舞妓さんが接待で、踊りは祇園東が担当だったが、1人1分でキープしないでくださいね、そうすれば全員回れるので!との主催者の忠告も虚しく、4人しか回って来なかった。


京都でルールを守らないというと、すぐに外国人を連想するかもしれないけれど、最近の日本人もたいしたものですよ(爆)。


ね。