京都ではないが小京都というから、テーマはそのままで良いかな(笑)。
さて、朝食を食べ三条京坂から市営地下鉄で山科。そして山科からは湖西線で北上する。
ここは海じゃなく琵琶湖である。この日はどんよりとしていて、天気は下り坂てあった。
近江舞子で乗り継ぎになったので、その少しの間で、琵琶湖畔まで歩いてみた。
敦賀からは延伸した北陸新幹線で金沢へ移動した。
循環バスで東茶屋街に近い停留所に移動して、茶屋街を抜けて背後の山の方へと向かう。
日蓮宗普香山蓮昌寺
丈六の阿弥陀如来像が常時拝観できるというお寺と書いてあったのだが、下調べをせずに訪ねたものだから本堂が空いていないからと諦めて次へと向かった。あとで知ったのだが、本堂の1番左の扉の奥に安置されているのだとか。
横手に回って墓地の間の細い道を登って行くと石塔があり人皇六十五代花山法皇奉安所と書いてあるのだが、それも写真を確認して、あとで解ったこと。
山門手前から覗いた寺内にある人影にちょっと驚いたが、よく見ると石像であった。
花山法皇である。つい先日、大河では矢を射られて腰を抜かしておったお方である。
この寺は金沢三十三観音霊場の番外札所なのだが、西国三十三観音霊場は花山法皇が巡礼した寺院を元に作定されたことによるものだろう。
事前に調べた時にあまりにもいっぱい寺院があったので、西養寺を見つけてそれ以上検索するのを辞めた。だから、こんな感じの行き当たりばったりで回っていた。
その清澄山西養寺は天台宗の寺院で、元々は天台真盛宗五カ寺のひとつ。天台真盛宗といえば、明智光秀の菩提寺である西教寺が本山の宗派である。
加賀藩、初代利家、二代利長の信望厚く加越能の天台宗寺院の触頭(ふれがしら)となった寺院。
緑の境内と本堂。本堂は1783年に建立された。
鐘楼は入母屋造
観音堂であり、聖天堂であり、護摩堂である堂宇。西養寺は十九番札所でもある。
本堂からの境内。緑に囲まれて落ち着く感じてある。ブルーシートが見え隠れしていて、ちょっと風情を壊しているけれど、これは正月の地震による被害があった証。
本堂の裏手にある西国三十三観音霊場巡礼の観音像。
同じく裏手にある十三仏。
少しのんびり過ごして御朱印を頂いて次へと向かう。気分的には目的は果たしたので茶屋街へと降りても良いのだが、寺院が密接しているのでそのまま流された。
加賀友禅ゆかりの龍國寺は、羽柴秀吉と前田利家が越前稲荷大明神を訪れて、その際に授かったお札で運が開けて出世したとの言い伝えにより、そのお札を長く伝えるために1671年に宝円寺八世、虎白禅師が建立したのだという。
その為、参道には鳥居が並び
本堂を狛犬が護っている。この苔むした様子がなんとも良いのだが、
奥には茶室がひっそりと建っていた。
ではそれがなぜ友禅ゆかりの寺なのかといえば、1920年に加賀友禅を完成させた宮崎友禅斎の墓碑がこの寺内で発見されたことによる。友禅斎は謎多き人物らしいが、晩年加賀に移り僧侶として生涯を終えたという説もあるのだとか。
寺廻りはもう少し続く。
ね。