平泉中尊寺に弁慶を探しに行ってみた(後半) | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。



中尊寺の鎮守、白山神社へ向かうと、まずは能楽殿がある。



能楽殿正面。この能楽殿は白神神社が嘉永2年に火災で焼失したのち、嘉永6年伊達藩主伊達邦公によって寄進された仮宮だった。



能楽殿の正面側は観覧しやすいように階段状になっている。



白山神社は、天台宗、第3代座主の円仁さんが勧進した。



中尊寺全景。現在地が参道。そこから下側に分かれる月見坂方面。



八幡堂は、月見坂にひっそりあった。



大夫黒

0191-34-4280

岩手県西磐井郡平泉町平泉字坂下31-2 

https://tabelog.com/iwate/A0303/A030303/3007018/


中尊寺から降って周りを見渡すと食堂があった。



今日は帆立が入ったといわれて、つまみに注文したした。



海鮮丼の静。静、義経、弁慶の中から静を選んだ。もう量はいらない。



熊野三社。清衡が勧進した平泉の鎮守の熊野社と、後に野火で消失した末社の子守社と勝手社を合祀し現在の熊野三社となった。



千手堂は金鶏山の麓にあって、藤原三代の位牌など安置されているが、ひっそりとした小さなお堂であった。



人の姿は見えないが、日頃から大切なされていることがわかる。


御本尊は千手観音像。弁財天尊像、愛染明王像、不動明王像、秀衡木像なども安置されている。



左手には義経妻子の墓。もともとは金鶏山の上の方にあったが、供養を怠らないようにするためにこちらに移設された。


まだ続くのだが、タイトルは、変えよう。


ね。