ゴールデンウィーク後半 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

続きます


鴨川をどりは3組で回すので、3日観ないと一通りみることは出来ない。客の鑑たるわたくしとしては、3日観ないと・・・と思って出かけたら行く度に見かける某社長。あの方には敵わないだろうなぁ😆。



ちょっと節約モードなので、京都の人が普段使いするようなお店に行こうと、まずは宮川町の蕎麦屋さんへ。



おろし蕎麦



宮川町だから、宮川町の芸舞妓さんも普段使いするってことですよね😆。



京のえべっさんこと、ゑびす神社



商売繁盛ささもっこい!ってわけで、有名な企業の名もあります。



続いて知恩院へ。有名な三門は三解脱門の略という説を知恩院は取っておりますな。



大方丈、小方丈、方丈庭園の特別公開をやっておりました。


仏縁という物は望んでできる物ではないと云います。例えば天台宗の僧侶になりたくても、仏縁がなく師僧に出会えなければ天台宗の僧にはなれない。真言宗の僧侶と出会って、その方が師僧となれば、真言宗の僧侶となるしかないと云いますが、それはさておき、私は跡取りが居ないので墓仕舞いを考えざるを得ないのであります。比叡山が好きだから比叡山で無縁仏になりたいんだけど、縁がないとね。


まあ、それは置いておいて先に進みます。



こちらは方丈庭園



その奥に徳川三代を祀った御影堂がありました。家康は熱心な浄土宗信者で、母の於大の方の菩提寺を知恩院としました。


余談ですが、於大の方の菩提寺は千葉の関宿にもありますが、こちらは関宿城主で家康の異父弟である松平康元が定めました。



続いて隣接する得浄明院の特別拝観へ。長野の善光寺の京都別院の尼寺です。



特別拝観は、この一初(ジャーマンアイリス)の鑑賞と、善光寺さながらの戒壇巡りが出来ます。



白川沿いを歩いて



建仁寺塔頭 両足院へと来ました。両足院は、KYOTO GRAPHIEの会場の一つとなっておりました。せっかくなので、入ってみました。



ジョアナ・シュメリさんの作品が展開されておりました。



茶室もまた然り。


続いてやはり建仁寺の塔頭 正伝永源院の特別公開へ。



織田有楽斎の墓。ここ正伝永源院は、もともとは正伝院と永源庵の2つの寺でした。明治の悪しき廃仏毀釈による寺社の取り壊しは建仁寺においても例外ではなく、寺領は縮小されてしまいました。その影響により住職の居なかった永源寺は潰されてしまい、その地に正伝院が移ってきたのでした。しかし、もともと細川家始祖から八代までの菩提寺で、同家から出家され住職を勤めた方もいたほどでしたので、その縁により細川侯爵の意向で永源の文字を残し、正伝永源院となったのでした。



さて、織田有楽斎ですが、織田信長の弟であります。正伝院は戦乱で荒廃しましたが、有楽斎により再興されました。



有楽斎はへたれで、武人としてはたいしたことはなかったのですが、才覚はあったし、文人としてはたいしたものだったのだと思います。有楽斎がいたからこそ、織田家は生き残ることができたのかもしれません。



有楽斎の如庵を模して境内に作られた茶室。本物の如庵は、犬山城のそばの有楽園に移築されております。


さてさて、時は若干の遡ります。八坂神社を通り過ぎて交差点を渡り、建仁寺を目指して歩いていると「弁慶さん!」と声をかけられました。声の主はあんず家の女将というか、石屋の偉い人。


ずっと居るのかと思われましたが、改めて来たのだと伝え、成り行きであんず家の空きをお聞きして、



夕刻には再びあんず家の客となったのでした。温かいお通しと冷たいお通し。



ハラミのえんがわのおろしポン酢。正式な名称ではないけれど、ハラミのえんがわみたいな部位を使うんだって!



牛塩たん



おでんは上左から牛テール、たまご、ごぼてん、大根。



いやいや、牛テールのアップだがね(爆)



〆はじゃこ飯にしました。



なんと、女将からプレゼント。うれしおす😊。



祇園町から先斗町に戻ります。



ホームグラウンド。池井戸潤氏、来たらしい。



深夜1時。人歩いてる😆。とうとう戻ってきたかな。


ね。