山寺を作った人の生まれ故郷 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

土曜日に仕事を半日で切り上げて、佐野ラーメンを食べようかなと50号線を走っていると、慈覚大師円仁ゆかりのお寺の看板を見かけたので、右折してみた。するとなんとも味のある食堂があったので、まずはそこで昼食を食べることにした。



食堂よしだや 

栃木県佐野市町谷町314 


この佇まいを見たら、とりあえず入らなくてはいけない。



小上がりがあったが、腰痛なので遠慮して



椅子席に。壁のメニューを眺めて悩んだが、せっかくなのでサービスの



カツ定食


なんか味噌汁の器がデカくてウケた(爆)。



小野寺山大慈寺

天台宗第三代座主慈覚大師円仁は、下野の三毳山の麓に生まれたと言われ、9歳からこの大慈寺で修行し、15歳で比叡山に登り最澄の弟子となりました。

円仁さんは、簡単に言うと、山形の山寺作った人である。


山門から入山。

その後、円仁は43歳で唐に渡り9年の長きに渡り修行した。いろいろと苦労して帰国したのち、東北、関東など布教の旅を行ったが、その時に建立された寺のひとつが山寺である。

また、当大慈寺の第四代住職にも就いている。


まずは本堂へお参り。本尊は薬師如来像である。

円仁は比叡山横川も開いている。横川の根本中堂が舞台作りなのは、遣唐船を模したものである。


慈覚大師の御霊水は、円仁が剃髪に使った井戸で、現在も水は湧き出している。


大師堂(円仁堂)


小野小町日本七佛薬師とあるが、行基作の薬師如来像等が祀られていて、小野小町も参拝したのだと言われている。

そう、小野小町も登場したわけだが、それは後ほど。


ライシャワー駐日大使の記念植樹がある。

ライシャワー氏は円仁の研究者でもあり、円仁の書いた入唐求法巡礼行記を英訳し、玄奘三蔵法師の大唐西域記、マルコポーロの東方見聞録と共に世界の三大旅行記とした上で、その中でももっとも歴史的価値が高いと評価している。


相輪橖は、この地に最澄が建立した宝塔に起源をもつ。817年に最澄が弟子たちをつれ東国を回った時に大慈寺にて大乗戒の授与を行い天台布教の足場とした。その時に宝塔が建てられたが、日本国内に6カ所に建てることを計画した六所宝塔の1つであった。

(六所宝塔が計画されたのは、比叡山東塔、同西塔、藤岡の浄法寺、宇佐弥勒寺、太宰府の竈門山寺、そして大慈寺である。)


側にあった小町寺稲荷。


さて、境内から少し離れたところに小野小町の墓があった。

小野小町は大慈寺本尊の薬師如来に病気平癒の祈願をしたが治らず、和歌のやりとりをしてようやく回復し、それ以来ここに住み着いた。小町は諏訪が岳の断崖絶壁に登り、眼前に薬師如来の浄瑠璃浄土の世界を見て、そこに身を投げた。村民は小町の遺体を大慈寺の薬師如来の真東、村檜神社の前という村内の重要な場所に丁寧に葬ったという。それが、この小町の墓である。

最澄さん、円仁さん、そして小町にライシャワー氏と土曜日の午後のひとときにしては、そしてまさかの岩舟で、壮大な歴史に遭遇って感じ?

ね。