さて、
拝殿の奥に本殿がある。拝殿の写真の右側になんとなく写っているが、本殿の右手には蚕養神社があって、それで蚕ノ社を呼ばれている。養蚕の技術を持っていた渡来人の秦氏との関連が推測されるし、近くの太秦は、秦氏の拠点だった場所でもある。太秦を「うずまさ」と読むのは、絹布がうず高く積まれた様子から朝廷から兎豆満佐の性を与えられ、太秦に当て字したらしい。
木嶋神社の最大の特徴は、全国で唯一ここにしかない「三柱鳥居」の存在である。中央の石組は本殿御祭神の神座である。
補修中らしく足場が組まれているのが残念だが、実はこの三柱鳥居の建っている場所は池の中である。もともとはこの神社から湧き出した泉により池となっていた場所なのだが、その水位が下がって枯れてしまっている。その名を元糺(もとただす)の池と云い、周囲の森を元糺の森という。そして、この元糺の池に土用の丑の日に手足を浸すと諸病にかからないという信仰がある。現在でもその時だけは水を汲み上げて祭式を行うそうである。
これはまさに下鴨神社の糺の森、御手洗池、みたらし祭との関連が想像されるがどうなのだろうか。
下鴨神社の起源は、木嶋神社より古く紀元前にすでにその存在が記録に残っているが、こちらは元糺であり、あちらは糺である。どのような関係になるのか興味深い。
こちらは末社、椿丘大明神である。この建物の中に祠がある。小さな祠がだか、供物等は必ず持ち帰ることと書かれていたのは、この祠が信仰厚く御供物が供されるというこの証なのだろう。
周囲にも小さい祠がいくつかある。
雨が降って来たので駅方面に戻り、妙心寺を目指すことにすると、途中に鳥居が見えた。
今宮神社
京都には紫野にもうひとつの今宮神社、吉田山の吉田神社には今宮社あるが、全て御霊会(ごりょうえ)に起源があるされる。御霊会はもともとは怨霊を鎮める為の国家的行事であったが、それを民衆は疫病を鎮める行事として展開した。祇園御霊会、つまりそれが祇園祭の起源だというが、祇園社(八坂神社)の御神体も、こちらの御神体も素戔嗚尊である。
疫病退散ならちょうど良いのでお参りして御朱印を頂くことにした。社務所の呼び鈴を押し、御朱印帳を預けてしばし拝殿から本殿を眺めていると、蝉がことのほか賑やかに鳴き始めた。
雨が上がって良かった。
ね。









