スルガ銀行主催の世界最大のヴィンテージバイクイベント「L‘eroica(エロイカ)に学ぶ」に行って来ました。
スルガ銀行とは取引はないんだけど、行きたいと思ったセミナーがスルガ銀行の主催だったんですね。スルガ銀行は、御殿場や伊豆にサイクルステーションを開設して口座を持っていると使えるようです。
口座を持ったとしても、ちょっと遠くて使わないだろうな。
講師はジャーナリストでカペルミュールのモデルのマルコさん。
まずは自転車の歴史から。工業製品としての自転車が出来てから今年でちょうど200年だそうです。このころは足漕ぎ。価格はフェラーリ級。
ビアンキの1885年製。安全性も高くなって、ようやく普及してきて価格は普通の車級。
そうなるとレースなどが生まれてきて、今でもあるパリブレストパリもこの頃から始まっている。とにかく長距離を走ることが強さの証だった時代背景があったので、いずれも長い距離のレースだった。
新聞社の拡販目的で、グランツールが生まれる。左がツールドフランス、右がジロディタリア。
第1回のジロディタリア。区間が長い。2日あいたり3日あいたりするのは、毎日走ると死んでしまうだけではなく、新聞の発行日に合わせてレースをしたから。
最初のギヤの変速はタイヤの左右に別のギヤを付けてタイヤの前後を入れ替えて行われた。寒くて手がかじかんでボルトを回すことが出来なかった経験から、たいした選手じゃなかったカンパニョーロさんがクイックリリースを考え、次に変速機が発明された。最初の変速機はテンションを緩めて逆回転させながら指でチェーンをずらして変速させた。
引き続きエロイカの誕生。
この地域、ワインで有名なキャンティ。すごく田舎で、過疎地だった。
道路がどんどん舗装され、昔の景色が失われていく。イタリアの道路は石灰で白いんですね。ストラーダ・ビアンキです。まだそんな道路残っているうちに、走っておこうと創始者のジャンカルロ・ブロッチ氏と賛同する仲間たちが始めたのが1996年。この時の参加者は96人でした。
ここが会場となる街、ガイオレ・イン・キャンティ市の普段の風景。
こちらがエロイカ当日の風景。
たった96人で始められたエロイカは、現在、約70,000人の応募があり、抽選等で7,000人が走るイベントになりました。
エロイカの経済効果は、開催中の3日間で2億円。年間を通じると6億円と試算されています。
道路標識にはここがエロイカで走る道路だという標識が設置されていて、エロイカに参加できなかった人たちが、自転車で、あるいは電動アシスト付き自転車で、あるいはモーターサイクルで一年中やって来ます。
そしてとうとう行政まで動かして、未舗装路の保護が決まり、毎年道路予算の8%は未舗装路の保全に使われることが決まりました。
このような美しい景色が保全されたのです。
さらには、キャンティ地方の過疎化か止まり、人口が増加に転じ始めました。
ちゃんと銀行のセミナーっぽいでしょ(爆)。
記憶だけで書いてるから間違ってたら御免なさい😞。
モデルはなぜかこの前一緒に飲んだMGオーナーのIさん(^^)。
ね。

















