棚卸落ち着いたから、終わったと思ったのに、明日も休日出勤になった「あー」です。
今日は、50代で亡くなった父の誕生日。それも年男です。
時々、書きますが、うちの父はアルコール依存症でした。
数日前、チラリと見ただけのテレビで、タイトルの映画の宣伝をしていました。
更に、その日の夜に無料漫画の宣伝で、同タイトルの漫画があって読みました。無料分だけ(笑)
漫画原作だったんですね。
私も1冊本が書けるくらい、父のエピソードには事欠きませんが、アルコール依存症の父親を持つ娘なら、皆そうだと思います。
更に、その娘たち・・・今はもう笑って話せるというレベルの人達が集まって話す場があったとしたら、あるある話で盛り上がるだろうなあ。
不謹慎かしら。
私は、欠けているのか、達観しているのか、昔から自己開示の方が楽なので、「家の事情」どんどん聞いて~!というタイプだからか、今回の主人公よりも強くたくましく生きてました。
そのまっただ中の時から、笑って話せてましたね。
強がりではなく、その方が、いざという時助けてもらえると思ってたし。
根本的に人に不信感を持ちにくいタチなのです。
大人は皆、子供には優しいという世界に生きてましたから、現実もそうなってました。
でも、強くいられたのは、母がいたからだと思います。
母は寝たきりの舅の介護(私が4歳の時に他界)、年子の姉弟の育児、弟は一晩で左小児片麻痺で重度の知的障害者となり、酒を飲んでは借金を繰り返す夫(私の父)という境遇でしたが、主人公のお母さんのように自殺という事を一切考えた事がない人だったのが、私には幸運でした。
母は死ぬという選択肢を、思いつきもせず、その時をどうするかに必死だったそうです。
母が出て行きかけたのを必死で止めた出来事はあって、あの時出ていかれてたら、やっぱり今の私はなかったと思います。
父と弟と残されていたら、全く違う人生だった・・・というか、健常児でない弟とは、別々の施設に入るようになって、一家離散だったでしょう。
耐え続けてくれていた母に、感謝です。
もう一つ幸いだったのは、私は父を、本当に嫌いになる事はなかったのです。
条件付きだけど、「飲んでないお父さんは好き」
それは、父は酔っても、暴力をふるう事があまりなかったからではないかと分析してます。
叩いたりは多少あったので、ゼロとは言いませんが、酒を飲んで、家族をボコボコにするという事がなかった。
むしろ、私が酔った父を殴る蹴るしてました。
父は全然、懲りてなかったけど。
もし、酒乱となる人だったら、きっと、父を嫌いではなかった、とは言えないでしょう。
酔うと化け物になる父という表現は、私には少しファンタジーかな。
私には「化け物」ではなくて、人なんだけど、人格が違う「別人」になるというほうがしっくり。
「酔うと別人になる父がつらい」です。
やっぱり、辛いには変わりない。
酔いが醒めた状態を、素面(すめん)と言っていたのですが、素面の時の父に、アダルトチルドレン、ヒーロータイプ&ピースキーパーの私は、毎度、コンコンと説教してました。
今思い返せば、その方法は、人格否定。
「私が絶対的に正しい。あなたはすべて間違っている。」が軸。
昨夜の父から被った被害を、延々と責める。
「ごめん」と謝る父。
「もう絶対、一生飲むな」
と言っても、ねえ?(笑)
繰り返すパターン。
それは夫に対しても、残っちゃっている。
すまん。夫よ。
昭和60年前後、サラ金の取り立てが厳しく、一家心中がすごくあった時、うちは法の改正でなんとかなって、最悪のパターンは避けられましたが、すごかったですよ~。
やくざが、昼間はもちろん、夜中にも家に来る。
かかってくる電話は督促ばかりなので、電話線を外してました。
まあ、いろいろありました。
本当に、飲まなきゃいい人だったんだけど(笑)
兵どもが夢の跡・・・って、お墓参りに行くと思いますわ。
あれだけ、大騒ぎだったけど、なんて静かになるのだろう。
何事もなかったかのように。
なんで、この父を親に選んできたのかしらん?本気で思うほど、嫌いじゃないけど(笑)
今でも父を含めた、家族4人の暮らしは、愛おしく、懐かしく、せつなく、私の中に在ります。