a round 活動日記 -2ページ目

6月20日 岸井

今回の公演に向けて、自分が探していたものがみつかった。

みつけたものを、上演にもちこめるのかは、まだわからないけれど。

それは、小さなころ初めて聞いたとき、本当に、本当におどろいたこと、なのだ。

今朝、夢でみて、思い出した。


この話を、聞いたとき、人間ってあほだなあ、と思った。

この場合は、ほめ言葉だし、あほをほめ言葉に使ったのは、考えてみれば、あれが人生で初めてかもしれない。

あほって、すごいなあ。かなわないなあ。

とおもいながら、口をぽかんと開けたところで目を覚ました今朝。


せりふって、思いついたら、かかずにおれない。

そして、稽古場に持ち込む。この直前に!


今日は、お昼に、PCをただでくれる!という友人のところにいった。

彼女の職場の前のお寺の木が伐採されている。

「あれがなくなるととてもこまる。

お昼ごはんのときにいつもみていたのに。

カラスが出るとか、日陰になるとかで、切ってほしがっている地元の人がいるのはしってるけどね

でも、身をきられるような、とはこのことよ!」


ああ、そういう台本を今書いてうちを出てきたところだよ、とはいえない。

つまり、今日の午前中に、せりふを書いてしまったのだ。

その友人は見に来てくれるので、いえないのだな。

せりふをかくと、同じせりふを後から現実で聞くことはよくある。

こういうときは、よい台本に仕上がっているわけだ。


出演者のだれかが、

このせりふが、その人の演技にとって

必要なものだったりすると

うれしい偶然の完成となる。




050619

公演前最後の日曜日、今日の稽古は長丁場。
昼稽古には今回スタッフとして参加してくれるえぐりんが見学に来てくれた。
夜は美術のミリメーターさんも登場。
この公演で始めて知り合った人達、それから長いこと知り合いだったけど(へぇ、この人にはこんな1面があったのかぁ)と思わせてくれるメンバーたち。
出会いの収穫はいつだって予想を上回る大収穫。
 
そして作品の種もどこに転がっているのかなかなか分からない。
(へぇ、こんなとこにあったのねぇ)なんてことはしばしば。
今日も新しい種が見つかった。今日の種はなかなか極上。
 
みんなで種を見つけたとき、ミリメーターさんがぶっ飛び美術案を発表してくれた時、みんなの顔が少ーし上気する。鼓動が高まる。
この一体感はちょっとすごい。
nono

2005-6-18

もう一人の演出家の岸井君とで深夜よく話す。時にあたり、時にそれは違うって話合いになって 。
話して解決して、進んで。 岸井くん、偉いな~って思うのは、論理的に物事を考えられること。
私は感っていうか、一つ問題が見つかれば、そこを解決しようとする。彼は全体を見ている。
だからそれでバランスがいい。

中にいたら、外が見にくい。中にいると、中の問題が良くわかる。中と外と。

まあみんな焦っているだろうし、いらつきや緊張や不安もある。
けれど、やっていることを信じて進むそれだけだ。それ以上の不安はもういらない。
私の不安はみんなにうつる。誰の不安もみんなにうつる。

さあて、がしがしって、切り開いて前に進むだけだ。

050616

混迷の度合いは増してきた。

正直、僕はそう感じている。霧の中にいて、着陸するべきところが見えない状態だ。
みんなで目指していた先はどこだったんだろうか?などと迷いさえ生じてくる。

現時点で、お客さんを惹き付けるほどの強大な滋場が舞台上にはない。稽古が終わった後にそう思った。

感動。歓喜。共感。共鳴。反発。憎悪。
まだ何もない。

どうしたら良いだろう?
どう進んだら良いのだろう?
悩む。頭を抱える。

今更ながら、これまで台本に、いかに救われてきたかを痛感する。
自分たちの思いや願いを話し合いながら1から形にして、それを作品全体で表現することはとても難しい。台本
を寄りどころにできない。
台本がないことへの戸惑い、不安。舞台上で寄りどころとなるのは、他者と自分だけ。…当たり前か。
台本があったってなくたって、そんなの変わらないんだな。納得しちまった!

本番まで、あと1週間。
もがく。あがく。キレる。

最終地点を目指すエネルギーは全開なのだ。しかし、エネルギーが行き場を失っている。
ふと思う。キレる若者は、行き場を失ったエネルギーを消化できずにいるのだろうか?僕も同じかな?
いやいや、自分を若者のカテゴリーに入れるのは少々あつかましいか。

よしっ、八方ふさがりになったこの頭の中に風穴をあける為、僕は暴れる。明日の稽古で暴れると、そう決め込
んだ。

どうです?まだまだ若いでしょ?

もうひと踏ん張り、ふた踏ん張り。まだまだ先へ。

かと

6月15日 岸井

稽古場はいつも思考とか想像とか何チャラを超えるのが楽しくて、僕はそれで、演劇を続けている。美術のミリさんが来て打ち合わせした。自分の死角を稽古場でも話し合いでも、たくさんつかれて、今日はとても楽しかった。


毎日稽古をしていると、毎日いろいろなことがおきる。いろいろなこと、とは、いつも緊張していた俳優の頬が緩んでいたり、そういう変化だ。気になったことをメモして、なんでそうなったか皆目見当がつかないことは質問して、自分にどう見えたかを正直にいう。「寝不足だからね」、などという、つまり、演劇とはあんまり関係なさそうな理由もあるし、「今までと変わらないけどー?」、などという、つまり、再現しようのない理由もある。でも、毎日3つくらい、背中から殴られるような答えが返ってくる。そうして、自分の仕事は1日3歩ずつ進む。亀のような進み方なので、亀のような私にはうれしい。

今回美術をお願いしている建築家のミリメーターさんが稽古場にきて、その後、夕飯ミーティング。ミリさん、仕事で最近の稽古を見れていないので、現状を説明する。稽古場は生きているので、稽古場の外に伝言するときが一番緊張する。といっても、今回のスタッフの人は、稽古の生き物ぶりを楽しんでくれる人ばっかりなので、ずいぶん楽させていただいているけれども。

舞台は、繊細で残酷な感じになってきた。残酷が鈍感を生まないよう、繊細が馴れ合いを生まないよう、弛緩の種を見つけてはみんなでつぶしていきつつ進んでいる。もうじき、まだ見たことのない場所がひらけそうだ。砂漠のはてとか、海のそこのような場所。自分たちが誰も経験したことのない場所。そこで、どう、振舞えるのだろうか。楽しみだ。