2021年に向けてお片付け進行中 ~母との共依存関係を脱却するまでにかけた4年間の学びをまとめる | 幸福なコミュニケーションは、あなたらしさを大事にすることから始まる♪     『フェルトセンス・コーチング』

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周りの人々の意見や価値観に振り回されて、自分らしさに自信を持って生きていけない女性向けに、大切にしたい考え方や気持ちなどの本心に気づいて、自分にとって最善な行動を選択できるようになるためのコーチング
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からだ・こころ・霊性について理解を深めることで、

誰でも人生をより良いものに変えていける。

かどや あやです

 

 

 

秋・・・とっても苦手な季節だけど、マイペースに生活する☆

マイペースにやってましたよ~。お片付けをニコニコ

4年かけて沢山のことを学んだので、

すぐに使える情報として加工している最中です。

正直言って、めっちゃしんどいあせる

 

 

 

わたし、虐待サバイバーです。

いきなり何の告白やねん?って感じですが笑、虐待が世代間連鎖しているコミュニティ(家族)を舞台にして、この世に生まれてきた自分の命を健やかに輝かせることを諦めなかった。そんなわたし自身の生き方に誇りをもっていますニコニコ

 

 

わたしが体験した出来事は、ザっとこんな感じです。

 

父親からは、

赤ちゃんの頃は、夜泣きしてうるさいと殴られる。

よく茶碗を投げつけられたり、テーブルも倒されたりと大変でした。

高校生の頃は、左のあばら骨が変形するほどの蹴りを入れられました。(病院に行けなかったので、骨は変形したままです)

 

母親からは、

わたしの顔が父に似ているから、不愉快でムカつくと言葉で虐められる。

4歳年上の兄と比べて能力・容姿ともに劣っていて、将来が不憫だと貶められる。

高校性になってからは、「母親に育ててもらえる恵まれた環境のあんたは苦労知らずだ」と嫉妬される。

 

4歳年上の兄には同士のような感覚を抱いていますが、

数万円単位のお金を貸して(中学生の頃だったかな)、返してもらえなかった経験があります。

わたしが高校生の頃には、2年近くどこに住んでいるのか分からなくなって、連絡がつかなかった時期もあります。

 

悪夢みたいな出来事の羅列ですが、今はまったくそんなことも起こらず穏やかなコミュニティ(家族)になりました。

 

 

 

なんで家族関係が改善したのか?

 

 

 

20歳から心理学とスピリチュアルを学んで、地道にコツコツとコミュニケーションの取り方を変えてきたことが一因だと思います。

あとは、家族のメンバーそれぞれが、自主性をもって変化を望んだ。そのタイミングが、たまたま今だった、っていうのもありますね。

 

 

 

父が暴力行為を止めるようになったのは、わたしが32歳のときです。

わたしが結婚した相手を見て、我が儘を止め、自らの振る舞いを変えようと決心したそうです。

父とふたりでお墓参りに行ったりと、母を介在しない関係を作ることで、父からの信頼を得たこともよかったようです。

 

 

 

28から32歳にかけては、兄とも時間をかけて対話しましたね(よく考えたら、父との対話も同じ時期に意識的にやったな)。

わたしが物心ついた頃には、兄はほぼ家に帰ってこない生活でした(グレていたので)。

彼が何を考えて一つ屋根の下に住んでいたのか、本音を話したこともないから理解のしようもなかったんですよね。

「母ちゃんと父ちゃんは『金がない』ってよく言ってたけど、金じゃなくて、愛がない家だったんだよな」という言葉を聞いて、兄もわたしと同じことを思っていたんだなぁと共感したことを覚えています。

 

 

 

母との対話が一番しんどかったです。本当に苦しかった。

41から43歳にかけて、プロコーチになる学びをしながら対話しました。

「カウンセラーがクライアントの話をありのまま聴く」ってくらい真剣に向き合わないと、母との断絶は改善しそうになかったので。

 

 

 

30代後半から、わたしが父と仲良くなるほど、母からわたしへの攻撃は増していきました。

わたし自身も、母のことをどんどん嫌いになっていった時期でした。

(父の暴力行為はわたしに肉体の痛みを植え付けましたが、母の言葉の暴力は人間不信を植え付けてくれました。

どちらも乗り越えるのはとても大変なことで、夫やお世話になった方々の協力がなければ、無理だったかもしれないと思うわ。)

 

 

 

母は無自覚だったでしょうが、わたしへの攻撃が増したのは、おそらく見捨てられ不安が根底にあったからじゃないかと思うのです。

言葉の暴力でわたしを痛めつけ罪悪感を抱かせることで、自分の手元に縛り付けておきたい願望があったんじゃないかと思う。

 

 

 

母は両親に育児放棄されて、祖母に要らない子扱いされて育っているので、自分の存在に自信や価値をもてませんでした。

「あんただけには、私の存在・考え方・感情の全てを理解して、ありのままを受け止めて欲しい。だって、私が生んだ娘だから」

そんな共依存関係を、わたしに求めてくる圧力がすごかったです。

 

 

 

しかも、母は根底にある自身のネガティブな感情を完全否認しているので、わたしへの攻撃たるやすさまじかったですよ。

死んだ方がマシだな、くらいの目には遭いました。

実際に2回はそれまでの価値観を180度変えて、生き方も変えましたから(こんなことくらいで、死んでる場合じゃないしね笑)。

高校生の頃から始まったから、わたしは25年間も、母との共依存関係で悩んでいたんですね。

 

 

 

母との関係を改善するために学んだことは、沢山あります。体験したセッションも、もり沢山。

プロコーチになりたくて学び始めたけれど、母と対立したままでは先に進めないと気づいたから、めっちゃ自分の心を掘り下げました。

掘り下げているときはツラかったけど(体重が10キロ近く減少したこともあった)、おかげで、側でサポートしてくれた主人の懐の広さや、海のように深い愛情も実感できた。

そして、目には見えない世界の理(ことわり)のような、人と人の深い縁(良い・悪いのどちらにも学びがある。とういうか、その関係で起きた出来事そのものは、すべてニュートラルなもの)を体感できた。

残念ながら同時並行で複数の学びをやり過ぎて、まったくまとめきれていない。

年内に整理して使える形に加工します。