以前、とある学校機関で教えている知人が愕然とした話を上げました。
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これ。
さらにその続きがあり、知人、マンツーマンの授業で学生と対峙。
学生、帽子を被ったまま何のあいさつもなくぬぼ~と突っ立ったままだったので「室内では脱帽、そして授業の時はお願いします、ありがとうございましたのあいさつぐらいしましょうね」と、園児に言い聞かせるぐらいのトーンで告げたと。
学生、個人の自由を振りかざし、海外では脱帽を強制しないと主張。しかも帽子を取らないのは髪がはねているからですって…😅
知人、怒りを抑えて「ここは日本だし、人に教えを乞うときはあいさつぐらいしましょうよ」と。
学生、しぶしぶ帽子を取り、蚊の鳴くような声であいさつらしき言葉を発したそうで、知人もそれ以上追及せず授業に進んだそうなのですが…
その学生、直後に学生課に「パワハラ受けました」と言いつけた(訴えたとは言いたくない)そうな。
学校側は訴えがあった以上、本人に伝えないわけにはいかなくてやんわり注意されたそうで…
救いは学校側のその担当者が事情は分かってくれていて、知人に同情的だったこと。でもパワハラ扱いされたことに変わりはないけどね。
今時の学校がみんなこうだとは言わない。
そして、みんながみんなこのような訴えを起こすとも思わない。むしろ数少ない特異な例だと思います。
が。
仮にも教育機関ならそのまま学生側の訴えを鵜呑みにしていいはずがない。
なんですか?学生様はお客さまで神様なのですか?
お金出せば何でもまかり通るのでしょうか?
教育って何?
お客さまの気分がいいようにさえすれば何でもいいのかね。
(そういえば「のだめカンタービレ」で、まだ音大生だったのだめの最初の担当教官が「生徒はお客さまなので生徒が気持ちいいようにやるのが自分の務め」みたいなこと言ってて愕然とした記憶ある。もう随分前から生徒はお客さまだったのね…😅)
そんな環境で「学んだ」(よい意味悪い意味混在しています)学生様はやがて社会に出て…
という時点でなんか想像付くよなあ。その学生のその先が。
金出せば何でもしていいし、言っていいってのは違うだろう。
と、またまた腑に落ちなかったのでした。
こんなこと言う私が古いのか?
だとしたら古くて結構だ!
なあんて思ったりもする。
やな世の中だなあ。