ふとしたことから、私の祖父、上娘にとっては曾祖父がシベリア抑留兵で、ロシアのどっかで亡くなった(アルタイスカヤって言ってたけど、詳しいことは把握しておらず)という話をしたら、俄然興味を持って深掘りしようと試みる😅

(歴史専攻の史学科あるある。しかもなまじ調査法とかちょびっと専門的なこともかじっているため深掘りに拍車がかかる😅)

私、ひいじいさんのこともっと調べたい!

となり、調べる分には一向に構わんので「どーぞどーぞ」。

が。
こっから長い旅が始まるんだな。

以前も書いたことあるけど、娘が戦没者のひいじいさんの確かにひ孫であるという証明に始まり、ひいじいさんの除籍証明とか(本籍地まで走ったぜ)いやー、自治体役場都合4つ走ったぜ(実際に足を運んだのは3か所だったけど)。

証明関連の書類が整ったところで、ひいじいさんが亡くなったときの状況、そもそもどこの所属で何をしていたのかなどなど、分かる分全部書類ちょうだい。
という請求を、日本政府とロシア政府に出す。

めでたく書類が整って、厚労省に出したのが8月のお盆期間中。

その後数週間経って厚労省の担当から上娘のとこに確認の電話がかかり「本当にあんたがこの書類出したんだね?」という確認のあと「少し時間かかるからね」といわれ、はや数ヵ月。

忘れた頃に調査書類が届いたよ。

ロシア語のやつはさっぱりだったけど、もろもろの書類が入っていました。ひ孫である証明の戸籍関係も全部返してくれました。

内容はね、多分ずーーーー…っと前に、まだ私の父が生きていた頃請求したのと変わらない感じだけど(当たり前だな)、父親たちはロシア政府の書類までは請求しなかったらしく、新たな発見もあるらしい。私はまだじっくり見せてもらってないからよう分からんのよね😅

これもひとつのファミリーヒストリーね。

じっくり見させてもらいますわ。