自分を知る
以前に私はパーソナルカラー診断というのをしたことがあります。
診断の結果、私は『サマータイプ』でした。
それにより知ったことは、私が今まで選んできた洋服の中には、私を不健康に、かつ老けて見えさせる色の服がたくさんあったことでした。
そして、自分が似合う色というのは、自分を健康的で血色が良く、若々しく見えさせる効果があることも知りました。
それ以降、なるべく自分に合わないタイプの色味のものは顔回りには持ってこないようにしています。
自分を知るって大事。
自分そのものを変えるのは大変だけれども、自分の特性を知ったら、今の自分を変えることなく、良く見せることはできる。
あなたのヌメロは何ですか?
これはフラメンコに言えます。
まずは、「あなたのヌメロは何ですか?」という、割と誰でも考えるような質問から行ってみましょう!
マヌエラ・カラスコと言えば『ソレア』、
マチルデ・コラルと言えば『アレグリアス』
というように、自分の得意なヌメロを色濃く持つ人たちがいます。
そこまででなかったとしても、
「やっぱり、この人はこのヌメロだよね!」
ってのを持つ人は多くいると思います。
マヌエラ・カラスコのグワヒーラやガロティン…、まあ、興味なくはないけど、1曲しか踊ってもらえないとしたら、何もその曲じゃなくてソレアを踊って欲しい。
もし2曲踊ってもらえるなら、シギリージャを踊って欲しい。
それぞれの人に似合うヌメロがある筈。
無理に自分に似合わないのを踊らないでもいい。
自分に似合ったものを踊ってればいい。
と、私は思う。
あなたの特性にあったもの
ヌメロに限りません。
似合うもの探しの旅はそんな程度じゃ収まりません。
バタとかマントンとか、小物を使って踊るのを得意とする人ですか?
サパテアードを得意とする人ですか?
ブエルタを見せ場にもってこれる人ですか?
リズム遊びの面白さを見せる人ですか?
情感の豊かさを見せたい人ですか?
大きな踊りが映える人ですか?
小気味よく小回りの利く踊りをする人ですか?
群舞が得意な人ですか?
これってヌメロを持たないけど、逆にどんなヌメロでも踊れる器用さのある人ですか?
もっと細かいところで言えば、
ブエルタは左足を軸として時計回りに回る方が得意ですか?
などなど。
あなたはどうしたいの?
私は生徒たちが私にお伺いを立ててくると、
「あなたはどうしたいの?」
って聞くことがよくあります。
与えられたものを、何も考えずに受け取って、
「先生の期待に添えられるように頑張ります!」
じゃなくて、自分の好きなものに取り組んで欲しいと思うからです。
そもそも、私、それほど、生徒に期待してない。
だから、期待に応えるって意味がない。
ちょっと御幣があるかと思うけど、
「どうせできないでしょ」
みたいな諦めの気持ちで期待してないってのではなくて、
「子供には、いい学校を出て、いい会社に勤めて、いい人生を歩んで欲しい!」
ってお母さんが期待するような期待をしてないって意味。
元々のもって生まれたものが官僚になるような子なら、東大に入るのがいいだろうけど、アルティスタの種をもって生まれた子ならば、別に中卒でもいいし、中学も出ないで不登校であったとしてもいいと思うのです。
東大に入る為の労力を、アルテを磨く方に使った方がいいじゃない。
だから、そういう子にはいい学校を出て、いい会社に就職することを期待してない。
強いて言うなら、「自分の好きなようにして欲しい」という期待。
そんな感じ。
もちろん、生徒が望んだものを私がOKするとは限りません。
色々な理由で無理なこともあります。
でも、それは、その子がダメだからじゃなくて、こちらの事情です。
例えば、
「赤い衣装を着たい!」
という人に対し、
「既に他の群舞が赤を着るから、他の色にして:
ということは、その人が赤が似合わないからではなく、こちらの事情です。
そんな感じ。
上級クラスのアレグリアス
上級クラスではアレグリアスを課題曲としています。
このアレグリアス、割と長いです。
構成で言うと、
サリーダ
↓
歌①
↓
ファルセータ
↓
歌②
↓
ファルセータ
↓
スビーダ/シエレ
↓
シレンシオ
↓
カスティジャーノ
↓
エスコビージャ1
↓
ファルセータ
↓
エスコビージャ2
↓
ブレリア1
↓
エスコビージャ3
↓
ブレリア2
↓
ハケ
ふぅ。
長いね。
でも、長けりゃいいってもんじゃないし、長ければ盛り上がるというもんでもない。
私、これをそっくりそのまま、生徒に踊ってもらおうと思ってなくて、彼女たちの引き出しにと思って振付をあげました。
宿題
6月と7月にギターさんとカンテさんがクラス伴奏に入る時に、それぞれに一人ずつ踊る機会を作ることにしました。
それに当たり生徒には、
「7分半以内でアレグリアスの振りを作ってくること」
という宿題を与えました。
クラスで習ったパソ以外のを使っても構いません。
逆に、あまり踊れてないパソ、曖昧なパソ、苦手なパソ、見ている人が「大変そう」と思わずにはいられない程に青色吐息になってしまうようなパソ。それらを使わないこと。
自分に合ったパソを使うこと。
自分に合った振りを作ること。
例①
サリーダ→歌1→ファルセータ→スビーダ/シエレ→シレンシオ→カスティジャーノ→エスコビージャ1→ブレリア1→ハケ
例②
サリーダ→歌1→ファルセータ→歌2→スビーダ/シエレ
ジャマーダ→ファルセータ→エスコビージャ2(ブレリア系)→ブレリア1→エスコビージャ3→ブレリア2→ハケ
って感じで、構成は自由。
シレンシオが苦手で、ブレリア系が得意なら、シレンシオは踊らないでいい。
代わりにブレリアの分量を増やして、得意なもので見せた方がいい。
逆も然り。
そんな感じ。
本番で踊る時には、敢えて自分の苦手なものを踊らないでいいのです。
自分の特性に合ったことをすればいいのです。
個の時代
時代は、『集団』から『個』に移り変わっていっているのを肌っで感じます。
個性をつぶし、集団に馴染ませる。
集団による基準を持ち、よりその基準に合った人が優れているという評価を得る。
優れていても、集団の枠から外れ、集団の基準に合わない人は、劣という扱いを受ける。
そんな時代が終わりを迎えつつある。
今は過渡期にあるから、まだ集団は基準を持ち、その基準に照らし合わせ、人を優劣で判断している。
けれども、その組織の基準に沿って優とされた人たちが、実社会では活躍できずにいることは多々ある。
そりゃ、そうだ。
組織により優と評価された人たちは、没個性の中での競い合いで優とされただけだから。
組織の枠に入りきらなかった人たちのような個性を持ってないから、実社会では生き残れない。
皆と同じじゃ生き残れない時代になってきている。
だから、自分を知り、自分の特性を伸ばすことが大事になる。
人と違っても、自分の特性を伸ばし、強みとしている人たちには敵わない。
そんな風に感じます。
見守る
助けること、優しくすることで
生徒の
自分で気付く力や
学ぶ機会
を奪ってしまうこともある。
転ばないことを期待してない。
転んでしまっても、
そこから立ち上がり、
いつか転ばずに歩けるようになるのを見守っています。
見守ってくれている人がいれば、人は力を出せるようになる。
他の人と違っても『劣』と判断されずに、ありのままを受け入れ、応援してくれている人がいれば、個性を発揮していけるようになる。
ふぅ。
なぜだか、熱く語ってしまいました。
ということで、上級クラスのアレグリアス、
生徒たちがどんな振りを作り、それをどう踊ってくれるのかを楽しみにしてます。
こういう期待はするのです
(´∀`*)ウフフ
先日の公演では、フラメンコに慣れたカメラマンさんではなく、ちょっと個性的なカメラマンさんに撮影をお願いしました。
遊び心ある写真が多く、アルテだなって思いました。