舞踊団公演『葛藤のシギリージャ』 | フラメンコ舞踊家 森山みえのブログ

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舞台に対する想い、そして舞台に繋がる教室での日々のこと、私の日常をブログにつづります。

 

不撓不屈のジェーン

 

無条件に愛してくれて、頼りになり、守ってくれる存在である親がいない子供が、大人になる過程で得る生き方には2つあります。

 

1つは、問題に立ち向かうこと。その力を身に付けること。

もう1つは、問題から逃げること。なかったことにすること。

 

今度の公演の主人公であるジェーン・エアは、前者でした。

問題に立ち向かう。なかったことにしない。

 

 

ジェーンは、女性に職業選択の自由がほとんどなかった時代に、生きていく為に勉学に励み、家庭教師の職を得ます。

 そして、女性に結婚相手を選ぶ自由がほとんどなかった時代にエドワードと自由恋愛をします。

 

ポイントは、身分が高く男性であるエドワードが、身分が低く女性であるジェーンを選ぶのではなく、ジェーンがエドワードを選ぶというところです。

 

ついでに言うと、ジェーンは綺麗な子でも可愛い子でもありませんでした。

愛嬌のある容姿で王子様を魅了したシンデレラではありませんでした。

 

まさに、不撓不屈の精神で自らを奮い立たせ、自らで考えて行動してきた女性、それがジェーン・エアです。

 

 

 

でも、そんなジェーンにも弁慶の泣き所はありました。

 

エドワードに妻(バーサ)がいることが判明し、エドワードとの別れを決意します。

 

現代の私からすると、

「なんで別れなきゃならないの?」

と思ってしまいます。

 

「奥さんがいる人を愛してしまったから」

と言っても一概には言えないですよね。

ジェーンとエドワードの場合、状況的にみて、

「で?」

って感じです。

なぜなら、エドワードとバーサの夫婦関係は、もうとっくのとうに破綻していました。

そこに愛がないのは一目瞭然。

二人を繋いでいるのは、『婚姻関係にある』という事実のみ。

日本でいえば戸籍。

当時のイギリス人からしたら教会で神に認められた結婚。

ただそれだけ。

 

ジェーンは独身なんだし、ならエドワードと一緒にいたっていいはず。

妻にはなれないけど、自立したジェーンにとって、必ずしも必要ではない。

家庭教師という立場でもいいじゃないか、好きな人と一緒にいれるなら。

って私なら思ってしまう。

 

「妻が一番。妻という地位は強い」

なんてのはマヤカシ。

男と女は心が通じ合ったかどうかが全て。

愛人の側からの視点ではなく、自分が妻としての視点でもそう思う。

夫に私以上に心を通わせる相手が今後出てきたとしたら、それはもう仕方ない。

婚姻関係を傘に、二人の間に入ったところでみじめなだけ。

 

「だって、キリスト教が…」とジェーンが言ったとしても、

「は?」と私は答えるでしょう。

 

 

人生は選択の連続。

 

日々の小さいものから、人生をかけた大きなものまで多種多様の選択があります。

でも、その選択の中には、自分を幸せにする為の選択ではないものも多いように思います。

 

特に、

 

世間体、見栄、常識、プライド、

他者からの期待

 

を元にする選択は、自分を幸せにはしないものが多いように思います。

 

 

その選択は何の為?

 

他の人から認められる為?

他の人からすごいって言われる為?

他の人から後ろ指を指されない為?

他の人からありがとうって言われたい為?

 

 

「でも、そこに私の幸せはあるの?

私が気にする『他の人』が私を幸せにしてくれるの?」

選ぶ前にそう問うてみたらいいと思う。

 

自分を犠牲にして成り立つものは、長くは続かない。

必ず破綻が来る。

 

 

その時代背景を考えたら、「エドワードに妻がいたから」という理由で別れを決意するのは、至極まっとうな考えです。

ただ、「ジェーンらしくない」って私は思います。

 

 

 

葛藤のシギリージャ

 

「神の教えに背かず、

天国の両親に顔向けできないことは避け、

世間様に恥じず、

プライドを持ち、

愛人という立場に甘んじず、

常識的な正しい人間であろうと行動してきたけれど、

果たして、私は幸せなのか」

ジェーンは葛藤します。

 

ジェーンが闘った相手は、恋敵のバーサではありません。

 

強そうに振る舞うけど本当は弱くて、ずるくて、でも愛しい、二股男のエドワードでもありません。

 

他者が作った基準で、「正しい」「間違い」と判断する価値観に従い、自らの幸せを選択できない自分です。

 

 

 

Yo no soy de esta tierra

(私はこの土地の者じゃない)

 

 

とシギリージャは絶叫します。

 

 

その土地の者でない。

よそ者。

厄介者。

居場所がない。

 

 

人間にとっては、とてもつらいこと。

 

 

幼い頃に親を亡くし、

居場所もなく、

ジェーンは、 

愛されることに飢え、 

愛することに飢えてきました。

 

そんなジェーンがやっと見つけた愛する人。

エドワードは、ジェーンの寂しい心を理解してくれた優しい人でした。

 

でも、そんなエドワードをジェーンは捨ててしまった。

たった一人、自分を孤独から救い出してくれた人を、自分から手放してしまった。

 

 

「でも私は正しい選択をした。

私は神の教えを守り、エドワードの元から去った。会わなければ忘れられると思った。

遠くから彼の幸せを願うつもりでいた。

 

 

でも、どうしてなの。

 

彼のことを思うと、

今でも胸が苦しい」

 

 

 

 

    

そんなジェーンが

葛藤のシギリージャを踊ります。

 

今回は小物はなく、普通の衣装で踊ります。

ただ、この動画で歌われている歌詞が、

「Yo no soy de esta tierra」

だったので、ペーストしました。

 

 

 

 

 

こんな感じで舞踊団公演は、物語があり、その物語の登場人物の心情をフラメンコの音楽や舞踊で表現していきます。

 

「踊りを見ただけでは、どういう意味の曲なのかわからない」

というフラメンコをご存知のないお客様からも、

「とても面白かった!」

と好評をいただいている舞踊団公演も8回目を迎えました。

 

これまでの課題や反省を活かし、一作毎にブラッシュアップしてきたと自負しております。

 

興味を持っていただけましたら、是非観にいらしてください。

 

 

よろしくお願いいたします。