素直になれない親子関係
足立家、張り詰めたディナーと
天野家、アキの居ない静かな晩酌
見事に対照的な家族の二元中継
パターナリズムとは…?
な、何じゃこれ?!
松田優作のジーパン刑事ではない
天野アキが思わず呻いた
そこはひなびた漁村の天野家とはまるでちがう、白樺林に囲まれた別荘のような邸宅だ。
北三陸の寒村にも、こんなところがあったのか…?
ユイの父親で県議会議員の足立功は、アキに一度会いたいと、自宅の夕食に招待したのだが…
アキはそこで〝修羅場〟に巻き込まれる…
功「君が天野春子さんの娘さん?」
アキ「はいアキです、よろしく!」
素直で品のあるアキが、功のお目にかなったようである。
功は、春子が高校時代の教え子であり、文化祭では他校の生徒が、わざわざ見に来るほどの可愛い人気者だったことなどを懐かしがって話した。
功「かわいいのはもちろんだけどもね、それ以上に天野はツッパリでね」
アキ 「、、、、?」
アキはユイと顔を見合わせる。
功「あはは、わかんないか?」
そのころ天野家では…
春子「今日アキいないよ」
夏 「え…あぁ、お呼ばれか…、んで二人だけか?」
母と娘の水入らずの晩酌…
夏「静かだなあ、誰か呼ぶかぁ?」
春子「何でよ」
夏「ウーン、なんかよぉ」
春子「無理してしゃべんなくていいよ別に」
夏「おめえこそ、無理につんけんしなくてもいいべ」
春子「はあ?」
一方、足立家ではディナーの食卓
ユイの母よしえが用意した豪華なフレンチに圧倒されるアキ。
そこへ帰宅した長男ヒロシは、無愛想に冷蔵庫から缶ビールを出して、ストーブの前にしゃがみこむ。
功「だまって通り過ぎるのか?
ちゃんと挨拶ぐらいしなさい!」
と叱るが、さらに…
功「23にもなってな、昼間からうろうろして…世間体の悪い。大学まで出してやったのに、親の顔に泥を塗るつもりか?!」
矢継ぎ早の口撃が、ちょっと聞いていられないが、見兼ねて出したアキの助け船…
アキ「仕事…、してますよね、漁協の監視小屋で…」
しかし、それは撃沈した。というより、火に油を差したか?
功「何だ、監視小屋って、父さん聞いてないぞ」
年齢の離れた父と息子の言い合いが始まるが…
腕をつかむ父に対してヒロシは
うっせえ離せよじじい!
パシッ💢
功がヒロシの頬に放った平手の音が響く
(やっちまった…、これ、もしや私のせい?)
萎縮するアキ
ユイ「気にしないで、いつもの事だから」
功「アキちゃん、あいつストーブなんですよ、ストーブだけがお友達」
アキ「え…へへへ」
メインのサーロインが出てくる。
よしえ「ハーイ」
こんな張り詰めた状況でも、分厚いステーキをしっかり食べるアキはさすがスキゾ人間…
一方、ヒロシも、惚れたアキの前で、父からぼろクソに言われ、ビンタされても、全く堪えていない。
こちらも全くのマイペース、筋金入りのスキゾ人間ではないか?
ヒロシにとって父は、古い世界の『過去の人』なのだろう。
功は春子を思い出して
「あの子はね、頑として自分の信念を曲げないんだよ。」
と言うが、それはまさに自分の息子のことではないか…?
では「いつものことだから」と冷ややかに言うユイは、父をどう思っているのだろう?
「アイドルになる」とは、ファンの人気投票を獲得して「選挙で当選する」という一見民主的なシステムへの変容が、この『あまちゃん』にも描かれている。
ミス北鉄コンテストで優勝し、夏祭りの大舞台に立つユイは、地元の名士、県議会議員の令嬢としての高いプライドが重なっているように感じてしまう。
「アイドルになりたい」というユイのパラノイア(夢)は、はたしてアキが羨望するようなカッケーものなのだろうか?
直線的で「わかりやすい」と思ったはずのユイの「需要と供給」には、もっと政治的?な大人のパラノイア(野望)が潜んでいるのもしれない。
ピラミッド型のヒェラルキーを構築(パラノイア)して、その頂点を目指す垂直指向が、これまでの世の中の主流であった。
運良く家系や世襲のエスカレーターで、労せず頂上まで上がれたりもするが、大半は脱落する。目標が一点に集約されているので、挫折には脆い。
こういう垂直指向の競争システムに全く関心がないのが水平指向のスキゾイドだろうか?
価値観は、自分が好きなこと、やりたいこと、自分の信念が優先され、誰かが用意した〝ピラミッド社会〟はウソっぽく感じて、興味がない。
地位や年功の序列にもこだわらない。
夏に、いきなり「ウニ獲りババア」と言う融通無碍なアキにも感じる。
AIやブロックチェーンテクノロジーが行き渡る時代には、古典的なピラミッド社会が〝遺構〟となるのも時間の問題であり、そういう時代に柔軟に適応できるのは、スキゾ人間かもしれない。
トリクルダウンは、起きなかった
天野家の晩酌は、モヤシが落ちる音が聞こえるほど静かだが、二人の不器用な酒宴は、微笑ましく、どこか温かい。
裕福な豪邸の、冷たく張り詰めた空気とは対照的だ…
夏「昔はともかく、今ならわかっぺ、子を持つ母の気持ちがよ。」
春子「まあね。こんな面倒臭くて無愛想な娘を、よく飼いならしてたと思うよ、大したもんですよ夏さんはね…何かしゃべってよ!」
夏「うるせえなあ、 黙れつったりしゃべれつったり…、おら24年間ずーっとずっと黙って暮らしてきたんだど、急にリクエストどおりにしゃべったり黙ったりできるがか!バカ者」
夏は、湯飲みだけ持って囲炉裏端へ
春子は一升瓶を持って夏のところへ
春子「そりゃすいませんでした…
さあどうぞ、お代わりどうぞ」
夏「はい、ああ、おっとっと」
ヒロシが独り、缶ビールを持って佇む薪ストーブと、夏と春子が一升瓶を酌み交わす囲炉裏端。
この二つの舞台設定も、両家の空気のちがいを象徴しているかのようだが…
24年間も実家に戻らないというのは尋常ではないが、アキのような素直でやさしい子供が育ったのだから、それは決して無駄ではなかったのだろう。
最初に立ち寄った観光協会で…
菅原「海きれいだったべ?」
アキ「はい」
春子「山側だったからね、あんまり見えなかったね」
景色が美しい海側ではなく、わざわざ山側に座っていた春子。
その理由を、娘のアキは知る由もないが「北三陸に帰りたくない」春子のトラウマをつくったのは、夏であった。
親は「自分の子供だから」とか「鉄は熱いうちに打て」と、思い通りにしがちだが、それが思わぬ結果を導いてしまうかもしれない。
親子関係は、支配関係ではない
パターナリズムとは…?
ヒロシに対する功の強硬的な態度を見ていると、つい『父権』という死語のような古い単語を思い浮かべてしまう。
実際は、功のような家父長的な父親は、過去の存在かも知れないが。
父権とは、父親(男性)に限らず、親の都合で、子に対して何かを強制すること…?
のん主演の映画『さかなのこ』は、さかなクンの少年時代、ミー坊の自伝的物語。
この映画でも、父親の教育方針に〝父権主義〟を感じたので、昨年記事に感想を書いた。
もはや家庭における〝父権〟とは、家長的な父親の〝専売特許〟という時代ではないが…
のん製作、主演の映画『Ribbon』では、美大生いつかの母親は、娘の芸術を理解しようとせず、勝手に部屋を片付けて、大切な作品を捨ててしまう。
こういう身勝手な〝おせっかい〟こそが、典型的なパターナリズムを表現しているように感じた。
さらに家庭を越えて、社会の広範囲にも、いわゆる『パターナリズム』(父権主義)が依然と存続しているようだ。
wikipedia『パターナリズム』より
強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう
『パターナリズムの典型例』として
専門家と素人(医者と患者)
国家と国民(政府と国民?)
国際政治(宗主国と植民地または従属国?)
※( )内は私見
とあるが、経済活動においても
親会社と下請け
資本家と労働者
経営者と従業員
などもそうだろうか?
昨今は、パンデミックや戦争、金融破綻などで、とかく不安や恐怖心が煽られがちだが、メディアやSNSなどによって、さらに同調圧力が起きやすい社会構造になっている。
日常のなかで、いつの間にかパターナリズム的な誘導に載せられていないか、点検が必要かもしれない。