アキとユイは
スキゾ  VS  パラノ…?


私が『あまちゃん』にこだわる理由のひとつに、主人公である天野アキの性格がよくわからないから、というものがある。

いや、本当は「よくわからない」ということすらわからなかった。

でも、だんだん何がわからなかったのかが、見えてきた。

のん(能年玲奈)さんが演じたアキちゃんは、とても可愛い。

可愛いけれど、何を考えているのかよく分かりにくい…

むしろ足立ユイの方が分かりやすい。


私、アイドルになるの


「東京行って、アイドルになる」
という明確な目標。

アイドル全盛時代は過ぎていたみたいだが、方向性が直線的でハッキリしている。

それは「アイドル需要を供給する役割を担う」…という恐るべく覚めた自信に裏打ちされている。

ところがアキの場合は、方向性や最終目標が読めない。
悪く言えば、思いつきというか、何でも手当たり次第、という印象すらある。

アキの決めぜりふのひとつに

やってみなきゃわかんない

というのがあって、ドラマの中で何度も出てくる。


やってみなきゃわかんねえべ


アキの瞬発的な行動力というのは、この台詞とセットになっているようだ。

やってみなきゃわかんない

それは、自分自身を鼓舞するために言っているかのようだ。

以前の〝弱気だった自分〟に戻ってしまわないように、弱気の虫が顔を出してくる前に〝思い付いたら行動を起こそう〟としているようにも見える。

兵は拙速を尊ぶ…(孫子)なのか?

ユイとアキ、このふたりの性格の対比自体が、ドラマに意図されていたのかどうかはわからない。

この考察も私の悪いクセ…、パラノイア(妄想癖)のひとつだ。


「東京行ってアイドルになるの」
と呟くユイを、アキは聞こえないフリを装ってシカトした。


しかし、次の瞬間
トンネルに向かって叫ぶユイ


アイドルになりた~い!!





パ、パラノイア(偏執狂)!?




ドえらいヤツと親友になってしまった!
と、アキは一瞬引いたかもしれない…

しかし、トンネルに消えてゆく、ユイが乗ったディーゼルカーを見送りながら

「カッケー」と、つぶやくアキ

アキはそこで自分の〝路線変更〟を考えたかどうかはわからないが、やがて海女や潜水士から、ユイの〝アイドル路線〟に乗り換えてゆくのだ。

「そんなことは、やらなくてもわかってるよ」と、理屈で考える観念的なユイに対して、「やってみなけりゃわからない」という行動主義のアキは、ユイ路線に参戦する…というよりも、はからずも独りでアイドルを目指す〝孤独な旅〟が始まるのだ。

それは「行動主義」というよりも、何にでも飛びつく…、何かに飛びついて、動き続けなければ止まってしまう。以前の動かない自分には、戻りたくないから…

ひたすらこぎ続ける自転車のように…

アキの言った「帰りたくない」とは、東京に帰りたくないのではなく「以前の弱い自分には、戻りたくない…」という意味だったのかもしれない。

だから、強くなったアキは、再びトウキョウに挑戦するのだ。

ところで、ユイがひとつの目標に固執するパラノ的性格ならば、生き方の方向性すら読めないランダムな動きのアキは、スキゾ的性格と言えるだろうか?

 



上記、『哲学の練習帳』さんのNOTE記事『パラノ的感性とスキゾ的感性
』より、引用の許可をいただいた。

「パラノ」と「スキゾ」というかつて一斉を風靡した言葉あります。この用語は、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著「アンチ・オイエディプス」のなかで用いられ、これをバブル直前の1984年、浅田彰氏が「逃走論」の中で紹介したことがきっかけで、やたらと流行りだし、その年の流行語大賞の銅賞にも選ばれました。

引用おわり


たしかに『スキゾ』という流行語が昔あったのは記憶にあるが、当時はドゥルーズ、ガタリの名前すら知らなかった。

こういう混沌とした時代こそ、スキゾ的な考え方は、役に立ちそうな気がするのだ。

 



以前、東京と北三陸、アキとユイの関係を似たような角度で見たことがあった。

それは、ニーチェの『悲劇の誕生』のなかに現れる、アポロンとディオニソスの関係だった。
 


 



ノマディズムや、スキゾとパラノの関係は、ディオニソスとアポロンと相関関係にあるようにも思えるし

ドゥルーズ&ガタリの『アンチ・オイエディプス』は、親子関係や、その呪縛を解く鍵になるかもしれない。

『あまちゃん』を題材に、いろいろ掘り下げる妄想(パラノイア)もなかなかオモロいものだ…


トップ画像は、観光協会がある?久慈駅前デパート
NOTE     やん(矢野達也)さん
鉄印帳旅(あまちゃん) #236より