塔2024年5月号研究記事のAI分析 | JW 2世の保健室

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教室に行けなくなった人のために

今週末のものみの塔2024年5月号研究記事18『憐れみ深く「地上の人全てを裁く方」を信頼する』について、先回投稿と同じくAI分析をしてみました。

 

太字青の部分が用意したプロンプト(AIへの指示)で、後は主題も含む塔研究記事全体のただのコピペです。後半部分がAIが生成した回答です。
 

以下の文章について、論理的と思われない点があったら教えてください。

憐れみ深く「地上の人全てを裁く方」を信頼する

「地上の人全てを裁く方は,正しいことを行われるのではありませんか」。創世記 18:25

ポイント

エホバは憐れみ深く,正しい裁きを行う方です。正しくない人の復活について考え,その点に関する理解を深めます。

1. アブラハムにとって忘れられない会話があります。エホバは天使を通して,ソドムとゴモラを滅ぼすと言いました。忠実な人アブラハムはそれを聞いて動揺し,こう尋ねます。「あなたは本当に,邪悪な人と一緒に正しい人も滅ぼされるのですか。……地上の人全てを裁く方は,正しいことを行われるのではありませんか」。エホバはこの愛する友に,正しい人を滅ぼすことは決してないと辛抱強く教えました。(創 18:23-33)私たちはこのことを考えると本当に安心できます。

2. 私たちはエホバが正しくて憐れみ深い裁きを行うことをどうして確信できますか。「エホバは心の中を見る」からです。(サム一 16:7)しかも,「全ての人の心」をご存じです。(王一 8:39。代一 28:9)これはすごいことです。エホバの裁きは私たちの理解をはるかに超えています。使徒パウロが「神の裁きを知り抜くこと[は]決してできません」と言っているのはもっともなことです。(ロマ 11:33)

3. 私たちもアブラハムと同じような疑問を持つかもしれません。ソドムとゴモラの人たちなどエホバに滅ぼされた人たちには復活の希望はないのでしょうか。そういう人たちは「正しくない人[の]復活」に含まれないのでしょうか。(使徒 24:15)

4. 復活について,私たちはどんなことを理解しているでしょうか。最近,「命の復活」と「裁きの復活」に関する理解が調整されました。 (ヨハネ 5:28,29を読む。) その調整によって今回さらに明らかになった点について,この記事と次の記事で学びます。では,私たちはエホバの裁きについてどんなことを知っていて,どんなことは知らないでしょうか。

知らないこと

5. 正しくないとエホバに判断された人がどうなるかについて,以前の出版物で取り上げられたことがあります。そこでは,ソドムとゴモラの人たちのように,エホバに滅ぼされた人たちには復活の希望はないと説明されていました。でも,祈って注意深く調査した結果,そうとは言い切れないことが明らかになりました。

6. 聖書には,エホバが正しくない人を滅ぼした記述が幾つかあります。例えば,エホバはノアとその家族以外の全ての人を洪水によって滅ぼしました。また,約束の地に住んでいた7つの国民をイスラエル人によって滅ぼしたこともあります。天使が1晩のうちに18万5000人のアッシリア兵を討つようにしたこともあります。(創 7:23。申 7:1-3。イザ 37:36,37)エホバは,こうした人たち全てに永遠の滅びという裁きを下したのでしょうか。この人たちには復活の希望はないのでしょうか。聖書によると,そうとは断言できません。なぜそういえますか。

7. 私たちにはエホバが一人一人をどのように裁いたかは分かりません。滅ぼされた人たちに,エホバについて学び,生き方を改める機会があったかどうかも分かりません。聖書によると,大洪水が起きた時代,ノアは「正しいことの伝道者」でした。(ペテ二 2:5)でも,ノアが巨大な箱船を造りながら地球上にいる全ての人に洪水について警告できたとは書かれていません。同じように,カナンに住んでいた邪悪な人たちみんなに,エホバについて学び,生き方を改める機会があったかどうかは分かりません。

8. ソドムとゴモラの人たちについてはどうでしょうか。正しい人ロトは邪悪な人たちに囲まれて生活していました。でも,ロトがそれらの人全員に伝道したかどうかは分かりません。また,そこにいた人たち一人一人が,何が正しくて何が間違っているかを知っていたかどうかも分かりません。ソドムの男たちがロトの家に来ていた客たちをレイプしようとして,家を取り囲んだ時のことを考えてみてください。聖書によると,その集団の中には「少年から老人まで」いました。少年たちは,その行動がどれほど悪いか理解することさえできていなかったかもしれません。(創 19:4。ペテ二 2:7)憐れみ深い神エホバはそこにいた一人一人をもう復活させない,と言い切れるでしょうか。確かにエホバは,この町には正しい人が10人もいないとアブラハムにはっきり言いました。(創 18:32)それで,ソドムとゴモラの人たちは正しくない人たちで,エホバがその人たちを滅ぼしたのは正当なことでした。でも,その人たちのうちの誰も「正しくない人[の]復活」を経験しないといえるでしょうか。私たちにははっきりしたことは分かりません。

9. 一方で,聖書には最初は正しい人だったのに後から悪くなった人についても書かれています。ソロモン王がその1人です。ソロモン王は,エホバがどんな方かや,エホバをどのように崇拝すべきかをよく知っていました。エホバからたくさんの良いものを与えられていました。でも後に偽の神々を崇拝するようになりました。このことはエホバを怒らせ,その後数百年にわたってイスラエル人は苦しむことになりました。聖書によると,「ソロモンはやがて死に,父ダビデの町に葬られた」とあります。(王一 11:5-9,43。王二 23:13)ソロモンの死に関して使われている元のヘブライ語を直訳すれば,ソロモンは「父祖たちと共に横たわり」ました。この表現はダビデ王などエホバに忠実に仕えた人についても使われています。(列王第一 2:10,脚注と比較。)では,このように埋葬されたことは,ソロモンが復活する根拠になりますか。聖書にそうは書かれていません。ただ,「死んだ人は自分の罪から放免されている」ので,ソロモン王は復活すると考える人もいるかもしれません。(ロマ 6:7)でも,亡くなった人全てに復活する権利があるというわけではありません。復活は愛情深い神からの贈り物です。エホバはその贈り物をご自分に永遠に仕えてほしいと思う人に与えます。(ヨブ 14:13,14。ヨハ 6:44)ソロモンはこの贈り物を受けることができるでしょうか。それはエホバにしか分かりません。私たちに分かっているのは,エホバはいつも正しいことを行うということです。
知っていること

10. エゼキエル 33:11を読む。エホバは人間を滅ぼすことについてどう思っているかを教えてくれています。使徒ペテロは聖なる力に導かれて,エホバは「一人も滅ぼされ[ない]ことを望んでいる」と書きました。(ペテ二 3:9)これは預言者エゼキエルが書いたメッセージと似ています。こうした言葉は私たちを安心させてくれます。エホバは十分な理由がない限り,誰かを永久に滅ぼすようなことはしないということを知ることができるからです。エホバは可能な限りいつでも憐れみを示してくださるのです。

11. 復活しない人たちについて,私たちはどんなことを知っていますか。この点について聖書には幾つかの例しか載せられていません。 イエスは,ユダ・イスカリオテは復活しないと言いました。(マル 14:21。ヨハネ 17:12と注釈も参照。)ユダは,自分がしていることがエホバやイエスに反抗していることになるということを知っていながら故意にそうしたからです。(マルコ 3:29と注釈を参照。)またイエスは,自分に敵対した宗教指導者たちには復活の希望がないと言いました。(マタ 23:33。ヨハネ 19:11と注釈「人」の項目を参照。)使徒パウロも,悔い改めない背教者たちには復活の希望はないと警告しています。(ヘブ 6:4-8; 10:29)

12. では,エホバの憐れみについて私たちはどんなことを知っているでしょうか。エホバが「一人も滅ぼされ[ない]ことを望んでいる」ことはどんなことから分かりますか。重大な罪を犯した人たちに,エホバがどのように憐れみを示したのか考えてみましょう。ダビデは姦淫や殺人などの大きな罪を犯しました。でも心から悔い改めたので,エホバは憐れみを示してダビデの罪を許しました。(サム二 12:1-13)マナセは長い間,エホバから嫌われることを大々的に行っていました。本当にひどいことをしていましたが,マナセが悔い改めた時,エホバはそれを憐れみを示す根拠として許しました。(代二 33:9-16)こうした例から分かるように,エホバは憐れみを示す理由が少しでもある場合,いつでも進んでそうしてくださいます。エホバはダビデやマナセを復活させます。自分の罪を認め,心から悔い改めたからです。

13. エホバの憐れみは,ニネベの人たちに対しても示されました。エホバはヨナに,「そこの人々の悪は目に余るものがある」と言いました。でも人々が罪を悔い改めた時,エホバは憐れみ深く許しました。それに対してヨナは怒りましたが,エホバはニネベの人たちは「何が良くて何が悪いかを知らない」ということをヨナに思い起こさせました。(ヨナ 1:1,2; 3:10; 4:9-11)後にイエスはこの例を引き合いに出して,エホバが公正で憐れみ深い方であるということを教えました。そして,悔い改めた「ニネベの人々は裁きの際に……復活」すると言いました。(マタ 12:41)

14. ニネベの人たちが「裁きの際に……復活」するとはどういう意味でしょうか。イエスは将来の「裁きの復活」について言っていました。(ヨハ 5:29)千年統治の間に「正しい人も正しくない人も復活」します。(使徒 24:15)その復活は,正しくない人にとっては「裁きの復活」になります。つまり,エホバとイエスは,その人が神から教えられることに従うかどうかを観察し,評価するということです。復活してくるニネベの人たちが清い崇拝に加わることを拒むなら,生き続けることはできません。(イザ 65:20)でも,エホバに仕えることを選ぶ人たちは永遠に生きる見込みを持つことができます。(ダニ 12:2)

15. イエスは,ソドムとゴモラの人たちが「裁きの日に」受ける処罰は,イエスを退けた人たちよりも軽いと言いました。(マタ 10:14,15; 11:23,24。ルカ 10:12)これはどういう意味でしょうか。イエスはソドムとゴモラの人たちを引き合いに出し,イエスの時代の人たちの邪悪さを強調するために誇張した言い方をしていたにすぎない,と思えるかもしれません。でも,ニネベの人たちの復活について話した時と同じように,イエスはおそらく文字通りの意味でそう言ったのであり,単に誇張した言い方をしていたわけではなかったようです。イエスがソドムとゴモラの人たちについて使った「裁きの日」とニネベの人たちについて使った「裁きの際」という表現は同じ時のことを指しています。考えてみると,ニネベの人たちの場合,悔い改める機会がありました。さらにイエスは「裁きの復活」を経験する人たちの中に,「悪いことを行った人」も含まれると言いました。(ヨハ 5:29)そうであれば,ニネベの人たちと同じく悪いことをしたソドムとゴモラの人たちの中にも,復活して悔い改める機会が与えられる人がいるかもしれません。そして私たちには,もしかすると復活してくるそうした人たちに,エホバやイエス・キリストについて教える機会があるかもしれません。

16. エレミヤ 17:10を読む。この聖句から知ることができるのは,エホバがどんな時も「心を探り,奥底の考えを調べ[る]」神である,ということです。それで将来の復活についても,エホバが「一人一人に,生き方に応じて……報い」てくださることを確信できます。エホバはご自分の正しさの基準を曲げることはしませんが,可能なときには喜んで憐れみを示します。ですから,聖書にはっきりと書かれていない限り,私たちは誰かについて復活の希望がないと決め付けてはなりません。

「地上の人全てを裁く方は,正しいことを行われる」

17. アダムとエバがサタンの側に付いてエホバ神に反逆してから,数え切れないほど多くの人が死にました。死は本当に恐ろしい「敵」です。(コリ一 15:26)これまで亡くなった人たちはどうなるのでしょうか。キリストに忠実に従ってきた14万4000人は天に復活し,不滅の命を与えられます。(啓 14:1)エホバを愛して忠実に仕えた大勢の人たちは,エホバが「正しい人[を]復活させてくださる」時に生き返ります。そして,キリストの千年統治とそれに続く最後の試練の間も正しい人であり続けるなら,地球でいつまでも生きることができます。(ダニ 12:13。ヘブ 12:1)これまでエホバに仕えてこなかった人や「悪いことを行った人」を含む「正しくない人」も復活してきます。そうした人たちは,千年統治の間に生き方を変えてエホバに仕えるチャンスを与えられます。(ルカ 23:42,43)とはいえ,エホバやエホバの考えに全く従おうとしなかった悪い人たちについては,エホバは復活させないと決めています。(ルカ 12:4,5)

18. 私たちは,エホバが人を裁く時はいつでも正しい判断をしてくださることを確信できます。アブラハムがよく理解していたように,「地上の人全てを裁く」エホバは,完璧で,豊かな知恵を持ち,憐れみ深い方です。エホバはイエスを教え,全ての人を裁く責任を委ねています。(ヨハ 5:22)エホバもイエスも一人一人の心を読むことができます。(マタ 9:4)そしてそれぞれに対して,「正しいこと」を行います。

19. エホバが全てをよくご存じであることを確信しましょう。私たちには裁く権限も能力もありませんが,エホバにはあります。(イザヤ 55:8,9を読む。) それでエホバとイエスを信頼し,裁くことは全て任せましょう。王であるイエスはエホバと全く同じように公正で憐れみ深い裁きを行います。(イザ 11:3,4)では,大患難の時にエホバとイエスはどのような裁きを行うのでしょうか。私たちはどんなことを知っていて,どんなことを知らないでしょうか。そうした点を次の記事で考えます。


[6ページの囲み記事]

ユダの言葉をどう理解できますか

イエスが亡くなってから数十年後,イエスの異父兄弟だったユダは,ソドムとゴモラと周りの町が「永遠の火による処罰を受け[た]」と書きました。(ユダ 7)これはどういう意味でしょうか。ユダの言葉はイエスの言葉と矛盾しているでしょうか。(ルカ 10:12)そうではありません。イエスはソドムとゴモラの全ての人が復活するとは言いませんでした。一部の人には希望があるということを言っていたと思われます。不道徳な行いに対する警告として永久に滅ぼされたのは,住民全てではなく,町そのものだったようです。ユダが書いたことは,預言者エレミヤの言葉と調和しています。エレミヤは,ソドムとゴモラと周りの町は,永久に滅ぼされた古代のエドムやバビロンのように二度と修復されたり人が住んだりすることがない,と説明しました。(エレ 49:17,18; 50:35,39,40)ユダや使徒ペテロの言葉からすると,エホバに滅ぼされたソドムとゴモラの人たちの一部は復活しない可能性もあります。(ペテ二 2:6)

 

これに対するChatGTPの回答:

 

この文章について論理的に問題がありそうな点をいくつか指摘します。

  1. 矛盾する解釈:

    • ソドムとゴモラの人々が復活するか否かについて、文章内で矛盾した記述があります。エホバは「正しい人を滅ぼすことは決してない」と教えた一方で、復活については「そうとは断言できません」としています。これが一貫していないため、混乱を招きます。
  2. 証拠の不十分さ:

    • 聖書のいくつかの引用や解釈に基づいて結論を出していますが、それらが必ずしも一貫していない、もしくは十分に根拠を持たない場合があります。例えば、ユダの言葉とイエスの言葉が矛盾しないと説明されていますが、その根拠が十分に示されていない点が指摘できます
  3. 前提の曖昧さ:

    • 「正しくないとエホバに判断された人がどうなるか」という部分では、エホバの判断基準が明確に示されておらず、推測が多く含まれています。これにより、結論が曖昧になります。
  4. 範囲の限定不足:

    • 全体として、エホバの裁きについての理解が広範囲にわたっており、具体的な結論が見えにくいです。特に、「正しくない人[の]復活」については、その範囲や条件が明確に定義されていないため、読者にとっては理解しにくい点があります。
  5. 信頼性の欠如:

    • 文章の中で何度も「分かりません」「断言できません」と言及されているため、結論に対する信頼性が低くなります。エホバの裁きの正確さを強調する一方で、具体的な説明や確信が欠けています

これらの点を踏まえ、文章全体の論理性を改善するためには、より一貫した説明と明確な根拠を提供することが重要です。

 

 

全体的なことをざっくり言えば

 

「復活について何が聖書に書かれており、何が書かれていない推測になってしまうか」の論議のようですが

 

AIの分析からすると

 

論議の展開の仕方そのものが「雑な推測でしかない」ということのようです。

 

 

そもそも

 

「楽園に入ったら誰が復活するのか/しないのか」なんて

 

雑学として暇つぶしに推理にする分には構わないですが

 

800万信者を拘束して日曜日の貴重な時間「あーでもないこーでもない」と討議するようなことでもないでしょう。

 

 

誰が復活するかを、重箱の隅をつつくかのような学習で預言的に学んだところで

 

本当にそれが正しかったかどうかを確認できるのは楽園になってから

 

そのときに「あのとき学んだことが当たった!」と知ったところで、もはや

 

「生き残るための信仰の補強」

 

にはならないのですから。

 

******

 

 

※おまけ:目に付いた英語記事のAI訳(塔記事もこれより多少は"高尚"かもしれませんが、議論の「どうでもよさ」のレベルは似たりよったりです。もしかすると笑えるだけ、こっちの記事のほうがましかもしれません)

 

 

ロトの妻はソドムから逃げる途中、自撮りをしようとして死んだ

 

米国 - 聖書学者たちは現在、ロトの妻がソドムとゴモラから逃げる途中、立ち止まって自撮り写真を何枚も撮った後に塩の柱に変えられたと信じている。 

 

「長い間、その文章は私たちを困惑させた」と福音主義学者のブレット・マーキン氏は言う。「なぜ彼女は振り返ったのか? しかし、今では明らかだ。彼女はインスタグラムにアップするかわいいセルフィーを何枚か撮るのに十分ためらっていたのだ。」

 

専門家は、彼女がフロントカメラを覗き込んで写真を何枚か撮ったとき、ソドムとゴモラが燃えているのを見て、罪深い都市で過ごしたロトとの生活に戻りたいと切望し、その場で神に裁かれたと主張している。最後のハッシュタグを入力し、お気に入りのセルフィーをインスタグラムにアップロードしようとしたまさにそのとき、彼女は塩の柱に変身し、投稿する前に携帯電話を落として粉々にしてしまった。

 

 

https://babylonbee.com/news/scholars-lots-wife-was-actually-trying-to-take-selfie