生き延びた「スリラー」 | JW 2世の保健室

JW 2世の保健室

教室に行けなくなった人のために

ソース(英語):"マイケル・ジャクソンは「スリラー」のビデオをあやうく破棄するところだった"

 

 

 

 

(だいたい訳)

マイケル・ジャクソンは「スリラー」のビデオをあやうく破棄するところだった
2020年10月3日
 

「スリラー」は、今でもマイケル・ジャクソンの最も人気のある曲/ミュージックビデオのひとつですが、誰もが楽しめたというわけではないようです。そのビデオに対する反感が生じたことに対応し、マイケルはそれを破棄しようとしました。「スリラー」のビデオがマイケルの人生に関わりある一部の人々を動揺させた理由、そして彼が最終的にそれを破棄しなかったいきさつは次のとおりです。


「スリラー」の制作はマイケル・ジャクソンにとって反逆行為であった


まず、いくつかの背景を説明しましょう。「スピン」誌によると、マイケルは強い宗教的信念を持っていました。マイケルは最も有名なエホバの証人の1人でした。ただし、その宗教組織の中で常に良い立場であったわけではありません。

「スピン」誌によれば、アルバム「スリラー」は、セックス、ギャング、婚外子、オカルトについて言及しているため、エホバの証人の見地からすれば反抗的だということです。「スリラー」のビデオは特にエホバの証人を混乱させました。BuzzFeedによると、そのビデオでオカルトのイメージが用いられていたため、エホバの証人はマイケルを排斥するところでした。「スリラー」のビデオは、1980年代のハリウッドの基準からしても、特に暴力的でも人を不快にさせるものでもないので、これは興味深いところです。


キングオブポップ(マイケル)は反感にどのように反応したか
 

反感に対するジャクソンの反応は前述のとおりで、彼は「スリラー」の映像を破棄するところでした。しかし、ビデオの監督であるジョン・ランディスがフィルムが入ったケースを隠したため、マイケルはそれを見つけることができませんでした。最終的に、マイケルは映像を破棄しないことに決めました。しかし、その後もマイケルはその映像について否定的なことを語っています。ニューヨーク・タイムズ紙によると、マイケルはエホバの証人の出版物である「目ざめよ!」誌でそのビデオを次のように非難しました。

"今になって分かったのですが,あれはいいアイデアではありませんでした。僕はあのようなビデオはもう決してやりません」とジャクソンは説明しています。そして続けて、「...『スリラー』を宣伝材料に使いたいという申し込みが各方面からあります。しかし僕は、『だめです。もう絶対にだめです。「スリラー」のことでは僕はもう何もしたくないのです。スリラーはもうたくさん』」と言いました。"

「ローリングストーン」誌によると、今の「スリラー」のビデオは、エホバの証人の間に生じた論争に応えた、わずかに修正されたバージョンとなっています。今そのビデオには、「私の個人的な強い確信のゆえに、この映画は決してオカルトを信じていることを裏書きするものではないという点を強調しておきたいと思います」という免責事項が表示されます。とはいえそのような個人的な信念は永遠に続くものでもありません。


マイケル・ジャクソンがエホバの証人を離れたとき


「スリラー」はマイケルの人生の一部であり続けましたが、エホバの証人についてはそうではありませんでした。「ロサンゼルス・タイムズ」紙によれば、マイケルは1987年にエホバの証人を離れています。エホバの証人側は彼が離れた理由を明かしておらず、マイケル自身もマネージャーのフランク・ディレオも、その件について語ろうとはしませんでした。 

マイケルがエホバの証人を離れることを決めてからは、オカルトのイメージが再び彼の仕事の一部になりました。「ゴースト」という曲はそのようなイメージが多用されています。そのミュージックビデオは、他ならぬスティーブン・キングによる脚本であり、夜に現れる化け物やフランケンシュタインへの言及まで、数多くのホラー要素が登場しています。マイケルがエホバの証人のままであったら、そのようなビデオを制作したかどうかは明らかではありません。結局のところ、オカルトに発想を得たマイケルの作品は(エホバの証人の反応に関係なく)依然として人気があります。

 

 

マイケル・ジャクソン「ゴースト」