近いうちに、このブログの位置づけや、テーマなど変えるつもりです。
理由の一つは、読書会を通して、やろうとしていたことの次の段階の方が、早くやりたくなったから。
その先にやりたかったこと、というのは、このブログの一番最初にも書いた通り、
知の集まる場所の創造、でした。
そのときに、漠然と理想像にあったのは、アテネの広場。
ただ、あの時代に、ああいった活動が活発だった背景には、彼らの代わりにする労働していた人々がいたわけなんですね。
知の追求には、それを支えるお金が必要。
だけど、できるだけお金かからずに、学べるような環境が作れないかな、というところに、
ブックカフェでの読書会、というゆるい読書会があった(つもり)なんですが、
そのお金と知、というところから、もっと考え直してみたい、というところが、最近の思うところです。
そんなことを考えている最近のテーマは、「貧乏2.0」
今までの「貧乏」という概念に含まれていたイメージは「苦しい」「抜け出したい」「閉塞感」「不自由」などでした。
だけど、最近の社会の流れの中に、少しずつ、お金の要らない「シェア」という流れが育まれてきているのを感じます。
まだまだ小さな萌芽かもしれないし、それはどこまで育つのかわからないですが、
うまく活用することができれば、
「お金がない」「から」「人生楽しくない」
という価値観から、
「お金がない」「けど」「別にそれでも楽しく生きてるよ」
というところにシフトできるんじゃないか、と。
(別に、その価値観、昔からあったよね?という突っ込みはあるとおもいますがw)
そういう「お金がかからない」けど、楽しく人生をおくっていこうよ、という価値観を、
貧乏に対する絶望、失望といったようなバグがフィックスされた、ver.upされた貧乏観、というところで、
貧乏2.0と呼んでみようかな、というぐらいの気持ちで、考えています。
ちょっと共産主義、社会主義的かもしれない。
ただ、別に、資本主義の否定ではなく、その隙間にうまく潜り込もう、という価値観なので、共存できるんじゃないかな、と、
ふわふわーな感覚ですが、思ってます。
追記:
ちょっと適当すぎたので、追記します。
ご存知の通り、日本の経済成長率は、ほとんど頭打ち、というような状況です。
参考URL:図録▽経済成長率の推移
少子化による人口増加が止まってしまったことが一因であるかと思いますが、
そもそも、経済は成長するものである、といった考え方の前提そのものが、誤りだったのではないでしょうか?
バブル期、資産価格は、ずっと上がり続けていくだろう、と思われていたのと、同様に、です。
またその経済成長を測る指標としてのGDPは、下記のような誤謬を孕んでいます。

広告の例としてあげてみましたが、
たとえば、広告主が1,000万円の予算を、予算を預けている広告代理店A(一次代理店)に払い、Aはまた別の広告代理店B(二次代理店)にC社(媒体社)の媒体のバイイングを任せたとします。
そのとき、各代理店が、20%のマージンを抜いたとして、
このときのGDPの流れは、
A社の売上:1,000万円(このうち200万円が、A社取り分)
B社の売上:800万円(このうち160万円が、B社取り分)
C社の売上:640万円
実際に動いたお金:1,000万円に対して、GDPに計上されるのは、2,440万円
(あまり経済学詳しくないので、正確ではないかもしれませんが)
実体のないお金が1,440万円も、あるということです。
ちょうど今公開されている映画「幸せの経済学」という映画の中でも、
グローバリゼーションについて、同様の指摘がなされていたかと思います。
そんな数字を追いかけても仕方ないのではないでしょうか?
視点を変えてみます。
原始的な話です。
米農家の人と、酪農家の人がいたとします。
この二者の間で、米と肉とを交換した、とします。
貨幣経済的には、0、なにも金銭は動いていません。
だけど、これも立派な経済活動です。
貧乏2.0は、そういう数字を離れた経済活動についても、もうちょっと考えてみてもいいんじゃないの?というようなことかな、と。
また企業の活動の例で、例えてみます。

A,B,Cの3社がいて、
A社は、B社に100万円分のお願いしたいことがあるが、100万円を払うのは苦しい。
B社も同様に、C社に100万円分の仕事お願いしたいが、キャッシュが苦しい。
C社も、A社に、100万円分の仕事お願いしたい。
それなら、お金のやり取り発生させずに、3社間で同額分の仕事回し合えばいいんじゃないの?それで、請求書で相殺にしようよ、とすれば、
お互いやってもらいたかったことが、やってもらえる。
もちろん、原価等、それぞれかかってしまっているわけなので、これだけで経営が継続できるわけではなく、
他で売上をたてていくことは必要にはなるのですが、
この分のコストをカットできた、というのは、経営的にはプラスになります。
(俗にいうバーターじゃん、ってことで、なんも目新しいことではないんですが。)
貧乏2.0というのは、この考え方を、もっと敷衍させていったらいいんじゃないかな、ということです。
お金をかけずに、よい生活を。
そんなこと実現できたら、楽しくないですか?
そういうのやりたい、と思っているので、ぜひ一緒にやりたいという方がいらっしゃれば、ご協力していただけると嬉しいです。
理由の一つは、読書会を通して、やろうとしていたことの次の段階の方が、早くやりたくなったから。
その先にやりたかったこと、というのは、このブログの一番最初にも書いた通り、
知の集まる場所の創造、でした。
そのときに、漠然と理想像にあったのは、アテネの広場。
ただ、あの時代に、ああいった活動が活発だった背景には、彼らの代わりにする労働していた人々がいたわけなんですね。
知の追求には、それを支えるお金が必要。
だけど、できるだけお金かからずに、学べるような環境が作れないかな、というところに、
ブックカフェでの読書会、というゆるい読書会があった(つもり)なんですが、
そのお金と知、というところから、もっと考え直してみたい、というところが、最近の思うところです。
そんなことを考えている最近のテーマは、「貧乏2.0」
今までの「貧乏」という概念に含まれていたイメージは「苦しい」「抜け出したい」「閉塞感」「不自由」などでした。
だけど、最近の社会の流れの中に、少しずつ、お金の要らない「シェア」という流れが育まれてきているのを感じます。
まだまだ小さな萌芽かもしれないし、それはどこまで育つのかわからないですが、
うまく活用することができれば、
「お金がない」「から」「人生楽しくない」
という価値観から、
「お金がない」「けど」「別にそれでも楽しく生きてるよ」
というところにシフトできるんじゃないか、と。
(別に、その価値観、昔からあったよね?という突っ込みはあるとおもいますがw)
そういう「お金がかからない」けど、楽しく人生をおくっていこうよ、という価値観を、
貧乏に対する絶望、失望といったようなバグがフィックスされた、ver.upされた貧乏観、というところで、
貧乏2.0と呼んでみようかな、というぐらいの気持ちで、考えています。
ちょっと共産主義、社会主義的かもしれない。
ただ、別に、資本主義の否定ではなく、その隙間にうまく潜り込もう、という価値観なので、共存できるんじゃないかな、と、
ふわふわーな感覚ですが、思ってます。
追記:
ちょっと適当すぎたので、追記します。
ご存知の通り、日本の経済成長率は、ほとんど頭打ち、というような状況です。
参考URL:図録▽経済成長率の推移
少子化による人口増加が止まってしまったことが一因であるかと思いますが、
そもそも、経済は成長するものである、といった考え方の前提そのものが、誤りだったのではないでしょうか?
バブル期、資産価格は、ずっと上がり続けていくだろう、と思われていたのと、同様に、です。
またその経済成長を測る指標としてのGDPは、下記のような誤謬を孕んでいます。

広告の例としてあげてみましたが、
たとえば、広告主が1,000万円の予算を、予算を預けている広告代理店A(一次代理店)に払い、Aはまた別の広告代理店B(二次代理店)にC社(媒体社)の媒体のバイイングを任せたとします。
そのとき、各代理店が、20%のマージンを抜いたとして、
このときのGDPの流れは、
A社の売上:1,000万円(このうち200万円が、A社取り分)
B社の売上:800万円(このうち160万円が、B社取り分)
C社の売上:640万円
実際に動いたお金:1,000万円に対して、GDPに計上されるのは、2,440万円
(あまり経済学詳しくないので、正確ではないかもしれませんが)
実体のないお金が1,440万円も、あるということです。
ちょうど今公開されている映画「幸せの経済学」という映画の中でも、
グローバリゼーションについて、同様の指摘がなされていたかと思います。
そんな数字を追いかけても仕方ないのではないでしょうか?
視点を変えてみます。
原始的な話です。
米農家の人と、酪農家の人がいたとします。
この二者の間で、米と肉とを交換した、とします。
貨幣経済的には、0、なにも金銭は動いていません。
だけど、これも立派な経済活動です。
貧乏2.0は、そういう数字を離れた経済活動についても、もうちょっと考えてみてもいいんじゃないの?というようなことかな、と。
また企業の活動の例で、例えてみます。

A,B,Cの3社がいて、
A社は、B社に100万円分のお願いしたいことがあるが、100万円を払うのは苦しい。
B社も同様に、C社に100万円分の仕事お願いしたいが、キャッシュが苦しい。
C社も、A社に、100万円分の仕事お願いしたい。
それなら、お金のやり取り発生させずに、3社間で同額分の仕事回し合えばいいんじゃないの?それで、請求書で相殺にしようよ、とすれば、
お互いやってもらいたかったことが、やってもらえる。
もちろん、原価等、それぞれかかってしまっているわけなので、これだけで経営が継続できるわけではなく、
他で売上をたてていくことは必要にはなるのですが、
この分のコストをカットできた、というのは、経営的にはプラスになります。
(俗にいうバーターじゃん、ってことで、なんも目新しいことではないんですが。)
貧乏2.0というのは、この考え方を、もっと敷衍させていったらいいんじゃないかな、ということです。
お金をかけずに、よい生活を。
そんなこと実現できたら、楽しくないですか?
そういうのやりたい、と思っているので、ぜひ一緒にやりたいという方がいらっしゃれば、ご協力していただけると嬉しいです。