あらゆる公共的立候補において、自己の名を平仮名、又は自己の氏を平仮名で、
明示する淫乱な者を信頼してはならない。
つまり親族等に与えられしものを、自己の立場確立のために捨てるような、
浅薄な者であることに気付かねばならないのだ。
醜さは快楽になり得る。例えば肛門。
食事をしながら、何か他事をする時から人間は堕落する。
多くの外食産業は音楽を流しており、
それは人間の堕落を誘発するのだ。
堕落とは無意識の中で伝染してゆく、その形成下の中の粗雑さを意味する。
食事を侮る人間は、身内の人間を侮るようになる。
貴方が好む異性が、貴方を大事にずっとしてくれるかは、
貴方の好む異性が、親や親族を貴方との関係がまだ薄い中で、
大事にしているかどうかにある。
自分を大事にできぬ者が、他人を大事にすることはできず、
自分の親や親族を大事にできぬ者は、社会貢献などできないのであって、
それは当然に”感じ”なければならない。知るのではないのだ。
つまり、本能、本能への畏敬が大事なのだ。
人間の全体、組織、それは縦の人間関係が正しい。
親が黒と言ったら黒。それを基礎としなければならない。
そうであっても、それを超える人間は、いかな罰があっても、
自分の情熱の中、それを破らざる得ぬ時がある。
任侠とは守るべき自我の誇りのために、
それを形成している全体、親へと喜んで犠牲になる行動である。
現代の軟弱な善より、硬派な悪が良い場合は、
この現代だからこそ多々見受けられる。
つまり乱暴、乱雑、粗野が一個の創造する力を発揮するのだ。
叡智でさえ、お上品な香水の中で窒息する。