愛して。

私を愛してください。

私は肛門です。

私は異臭を放つ汚物です。

 

僕を抱きしめてごらん。

それは一方的な想いではなく、

君と僕の想いさ。

 

愛しい気持ちは止まらず、

二人の本性が愛。

俺たちは崩壊す。

 

言ってごらん。

愛の姿を。

それは我々の秘密であり、

我々の持参の宝である。

貴公は恥じるな!

その恥を僕に預けてごらん!

 

いいの?大丈夫なの?

俺の愛がいいの?

ならば言ってごらん。

「愛ってくすぐったいから始まる」と。

 

俺のを見ろ。

お前の愛が俺を打つ。

真剣な行動が情熱。

君しか見えない。

 

俺ほど君を大事にできる者は他にいない。

俺に心を捧げ!

 

恋人よ。

もし恋人があるならば、

貴公は私の奴隷。

 

愛してる。

僕は君を守る。

 

目が覚めれば私は無機質に火葬され、

灰になり、箱に収められた。

 

それは昨夜の夢、

それは昨夜の夢にしたものであった。

 

私は衛生的に処分される、

一個の時代的人間である。

私自身、私で終わり、

時は私を回帰させない。

 

流転する時が、私を毎朝嘔吐させる。

私の瞳からは涙が零れるが、

それは犬猫と変わらない。

 

人間は常に一人であり、

生存本能がそれを優しく隠蔽する。

 

私は貴方を疑っている。

貴方は私を生存にする。

 

そして私は貴方を生存にする。

 

愛しているから死んでほしい。

私を愛しているならば、死んでほしいと行動してほしい。

 

私はただ年齢を重ね、

ただ生きるようになった。

 

表示規制が適応されるため、

○○という記載をし対応する。

軟弱な言葉の時代だ。

 

天才とは、自〇者及び精○○院で長期入院し、

最終的に回復せず、そのまま死亡した人である。

つまり心の奥底で、

生きているということに価値を見出せない者である。

 

「あの人は天才だ」という言葉は、

「あの人は社会不○○者だ」という同義語である。

言われた本人は不安を蓄積させるだけであり、

言った者は、その場の無意識の排除を行動している。

 

才能は存在しないが、好悪の継続の結果は存在する。

性○○依存症。彼は射精の天才だろう。

 

覚えるより忘れる。

大抵のことはそれが天才の脳である。

つまり役〇たずである。

 

天才は長寿の樹木からは常に憐れまれ、見下されている。

新約の「またか」は本音であって、

天才の唯一の真実は、

関わった周囲の者が、天才の尻拭きに追われるということである。

 

天才の歓喜は肛門にある。

その肛門は肉体であって、肉体ではない。比喩。

そして一個の粘膜という肉体である。

 

私はまだ陰毛も生育していない少〇の肛門を、

優しく愛撫し、それが性行為ではないことを求める。

 

ニュルニュルした肛門。

下痢を漏らしながら、異臭を放つ。

それが私だ。

何一つ誇りなど見出しはしない。

私の人生は一言で言うと無駄であった。

この尿道はかつて愛した人へ、

精液を送ったのに、

今の私は単なる尿漏れなのだ。

 

私は最近、夜毎自分の悲惨さを感じる。

何も本当に愛しいものを感ぜられない。

空虚な生活の虚栄があるだけだ。

私は何もできやしない。

心の内なる光のために、

その絆のために何ができたのか?

それを思うと、瞬間が苦しい。

 

昨日陰毛を切った。

西洋の美を体現するつもり。

だが私は知っている。

精神的愛こそが人間を救う。

陰毛なんかどうでもいい。

 

愛を信じたい。

そこに全てを賭けたい。

心身共に壊れるほど、抱きしめたい、抱きしめられたい。

いつも聖母を待っていた。

そして聖母を守る、大いなる陰茎でありたかった。

 

僕に道はない。

独身者に生きる価値はない。

その言葉は残酷だが、それが真実。

二人の子供。

これなき者は生きていないし、

生きる価値もない。

 

お父さん、お母さん、

ごめんなさい。

私は生きるということ、生、性という、

真実を何もできませんでした。

人間の重要性が無いから、人間は重要性を自分に又は、自分の環境に重要性を創作した。

 

私は九九の掛け算ができない。

なぜなら私は常に疑うからである。

それゆえ私は日常において、

この現代において迷惑な存在である。

 

私は漢字が分からない。

なぜなら個別の歴史の想いが、

全く想像できないからだ。

 

私が話す言葉は常に形式である。

なぜなら他人の気持ちが全く分からないからである。

 

私を安心させるのは、

私の屁と大便の匂いである。

私は確認するのだ。

 

私は酒と煙草を飲む。

つまり正しい人間ではない。

正しい人間はどちらも飲まない。

例として、今の若者を挙げられる。

つまり中年のこの私より、大方の若者の方が正しい。

 

酒に真理はない。

単なる飲酒者の浅薄な欲望が露呈されるだけである。

 

私は枝豆である。

 

最近私は、畑仕事している自分が一番美しいと、

スマートフォンの自己撮りで気が付いた。

私は常に比喩でも、土と足の裏の匂いであった。

そして肛門でもあった。

 

世界平和、世界の心の光の共感の絆のために、

人は他人を愛してはならないし、

双方に相手を所有してはならない。

 

私が誰かともし真剣に話すならば、それは尿道のこと。

後は別に真剣に価いしない。

 

飲酒=後悔する。

私は夜毎死んでいる。

 

 

 

どんな投票でも、いつも怠惰が上回る。

ならば民主制とは、本当に意味のないことかもしれない。

したくないという意見は、何の意味があるのか?

 

国民の多くは豚。

大衆の多くは豚。

儲ける(大した価値もないのに)との可能性に怯えた豚だ。

怯えた時点で、もはや生きる価値はないのに。

 

憲法を改正せよ。

むしろ革命せよ。

9条を破壊せよ。

 

戦争は正義。

 

コロナ危機は戦争し、戦勝国が医療に予算を組め、

敗戦国に対し、人体実験ができる。

戦争反対とは宗教。

日本国憲法の、戦争放棄は宗教。

化学は常に上品ではない。

 

本当に人間を考えるなら戦争は大事。

一番大事なのは命ではない。

それ以上の想いだ。

 

戦後の日本は豚の教育。

憲法の一部が人間を堕落させた。

 

戦争は神聖。

みんなを豊かにする。

負けてもだ。

 

求める愛の輝きは我が胸のドキドキ。(高なる鼓動)

何人もそれを否定することはできぬ。

ましてや自分自身を自分自身が。

美とは心の美しさ。ささやかなる行動。

だがそれでも動けぬ声なき声を忘れてはならない。

愛の使徒は、整合性ゆえの成長又は成功を、

自らに行動でもって否定しなければならない。

愛は獲得ではない。愛は富ではない。

愛は糞尿である。

糞尿であると愛する人から思われ、

自分自身でも思わなければならない。

私という排泄を許してください。

私はこの生命体、否、非生命体という時空の中で、

常に死滅しているとしても、

私という、思い出という複合体が、

時空の中で又私を形成するのであるから、

愛する貴方と共に常に在るのだ。

愛する貴方と共に在るのだと、排泄するのだ。

 

僕は夜な夜な深酒をする。

死が怖いからだ。死が分からないからだ。

動物と人間。

何という情けない悲惨だろう。

神は常に超越し、我に益と害を与える。

益の名は情熱。

害の名は自傷。

しかし我々は神ともし一体になれるのならば、

求める愛も又、常に裸体であろう。

でも我は疑う。

その愛にドキドキ(高なる鼓動)はないのではないか?

 

今現在僕は41歳だ。

だが未だ信じているのは胸のドキドキ(高なる鼓動)だ。

正直後のことは全てどうでもいい。

瞬きすれば今後僕は70歳であり、

5歳でもあり、没後300歳であるし、300歳であった。

歴史は僕だ。

常に繰り返し、常にそこにいて、そこにいない。

ただ神は時空と共にある。

私は愛の神ヴァルヴェッサス。

今僕は自分をそう命名し、その代理人となった。

 

さあ私は明日の朝目覚めたら、

コーヒーと煙草を同時にやり、

二日酔いと共に口臭を吐き出そう。

いつもの大便放出と共に。

 

どうか肛門であってください。

愛とはその匂いと皺であってください。

上品な香水と規格的なものが、

愛の姿とは思わないでください。

私の夢はイエスです。

保育園又は幼稚園に入学することです。

 

最近私はオナラして(18時以降)肛門から汚物を分泌し、

トランクス、パジャマでさえ染み付けました。

臭かったです。

ウエットティッシュで肛門かつ、その周囲を拭きました。

僕は愛する人にそれをして欲しいです。

普通にそれをしてほしいてす。

それを性欲の一種とする人間を私は憎みます。

大事なのは聖母です。

 

我々は一個の下痢です。

そしてその下痢を受け止めてくれることが、

愛されることです。

多くの少女、婦人も愛にそれを願っています。

こう考えると私は、少女と婦人の代弁者かもしれません。

 

簡単に考えてください。

私はいつも覚えたての大便の名称を、

心の内で連呼しているのです。

簡単に考えてください。

それが意思疎通している愛です。

 

 

 

お腹が痛い。

下痢。

いつもそう。

所詮は甘え。

意志は、否、心の内なる光は、

肉体を超越する。

愛が全ての内なる光と共にあるならば、

それは唯一の天国への道だ。

平和、安らぎ。

この実践が人生。

それ以外、実はたいした価値はない。

イエスと共に。

イエスと共に。

 

幼子は聖母に抱かれる。

 

いつまでも清らかでいてください。

 

本来人生は賭博であり、神は賭博の象徴である。

しかし資本主義の賭博の演技、

必然性の演出に飽き飽きするのは、

私も含めて多くの者が感じていることだろう。

偶然というウイルスが人生を左右する。

こいつは一個の賭博である。

ここに資本主義は対抗できないであろう。

医学と政治が社会という不自由を、

再度形成してゆくのは、今後の見所であろう。

私達は退化する。

つまり経済の停滞から見ればである。

我々は何も継続すべきではない。

終末が大事だ。

そして大事な物は何も無かった。

この過去から過去を救済すべきである。

人間の時間は長い。

概ね1000年がサイクルの一環であろう。

そこにしか変化はなく不器用な機械、

すなわちAIもそれを判断してもらわなければ、

その結果の意味がない。

我々はVRにそいつを表現し、

いつも射精しなければ、何ら未来はないのだ。