。。★自分を認めて受け入れてあげよう★。。

。。★自分を認めて受け入れてあげよう★。。

自分の記録用として久しぶりにblogを書いてみることに。結婚9年。多嚢胞性卵巣で治療を経て2014年一児出産後、第二子を目指して4年不妊治療を続けています。年37歳 仕事と妊活に励んできた一児の母blog

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第二子妊活が始まり、4年の間にいくつもの周囲の妊娠に遭遇してきた。
その度に目を背けて一人悲しみに浸ってきた。


その事実を知ったときは正直に言えば喜べなくて、むしろその人と少し気持ち離れてしまいどんなリアクションをしてあげたら良いのか自分のなかでさだまらず、表面的なおめでとうになる事が多かった。自分の気持ちの整理がついてその事実を受け入れられた時やっとお祝いしてあげられるのだ。


治療中は莫大なストレスをかかえて毎日をやりすごしている。


仕事との折り合いをつけながら通院しなくてはいけない。職場の全員に毎回頭を下げ説明して病院に行かせてもらったり。
私はこのストレスがもっとも大きかった。


毎周期、判定日までのそわそわ感→月経が始まる→奈落の底に落とされる。


お金がどんどん減っていく。意味のある投資なのか?あまりに結果が出ないとだんだんそういう思考になってくる。


旦那の寄り添い度の低さ。声かけも協力も極めて少ない。昼夜逆転で生活自体もすれ違い、タイミングを逃したことも数多い。


他の方々はきっと夫婦で同じ方向を向き協力して頑張っていらっしゃると思います。本当に羨ましいです。

そんな数多くのストレスがぐるぐる渦巻いて何ヵ月も、何年も過ごしている。


治療の全てを話してる本当に仲良しの友人が仮に妊娠したならばきっとすぐ報告してくれると思う。でも誰もがみな安定期を迎えるまで安心して報告出来ないという気持ちもあると思う。

実際私も今とても不安で友達には1人にしか告げていない。

もしかしたら妊娠を告げたらどう思うか、治療をしている事を知っているからこそ言うか言わないか悩んでくれる人もいるかもしれない。


その時ばかりは頑なな頭をほどいて葛藤の気持ちは理解してあげないといけない。


でもでも、お腹が大きくなってから会って現実を知るのも本音を言うと本当にショックが大きくて辛い(´TωT`)


そんな人の幸せを素直に喜べないみじめな自分が嫌だった。
こんな記事を書いていたら、思い出したことが!

以前通ったクリニックで、妊娠を望む人の為のヨガクラスを開設しますと貼紙があり仕事でなかなか行けなかったけと都合が良い時に参加してみた。そこには妊娠に向けて頑張れと応援してくれる優しいヨガ講師、そして大体4~5名程度の参加者。もう大体は常連さんの様だ。
その小一時間はリラックス出来て、終わったあとはクリニック内にあるラウンジでお茶して語り合うのが習慣のようだ。都合が会う日に私も一度混ぜてもらったことがあったけど、皆体外受精や顕微授精を経験してる方々で、タイミングや人工受精止まりの私には何だか畑違いで、、でも同じような苦しみを経験している方とのお話しは心安らぐ時間だったな、そんなことがあったの事をすっかり忘れていた。

どんな形であれいつかは卒業していく不妊治療。でもこの渦中にある人たちは間違いなく苦しんでいる。私はこの治療に対して語らいの場があって良いと思う。不安や悩みを皆で共有し治療を前向きに受けられるポジティブな環境が必要なのではないかな。


まとまりのない文章になってしまったけど、人の事を気にしてしまうのは自分のメンタルコントロールがうまく出来ていない証拠。
相手を思えるようになるには、まず頑張ってる自分の事をを労り、誉めてあげて。


そして一番近くで見ているパートナーのフォローがとっても大事。
世の旦那様方、宜しくお願いします!


明るい妊活をこれからも考えていきたい。

当時は術後の経過観察もあり、脳神経外科に通いながら婦人科にも通っていた。休みの日に病院はしごは厳しいよ〰️と泣きながら通う。


排卵日が分からないのでタイミングをとるのも正直めんどくさかった。でも本なんか読むと、とにかくこまめにタイミングをとるとが鍵と書かれているので頑張って3日おきにタイミングをとるようにした。


その頃漢方も処方してもらっていた。
当帰芍薬散と人参湯とアコニン酸。ちょうど社長が不妊症の勉強会に行ったらしく、対策としてはとにかく内蔵を温めること一番らしい。
ということで、即席漢方を調合してくれたものを飲んでいた。これで体が温まった感覚はあまりなかったけどとにかく飲み続けていました。


飲み続けて2~3ヶ月した時、メトグルコがなくなりそうだったので受診日とはずれていたけど薬だけ貰いに行った。このタイミングに受診すると生理は来たのか何日目か聞かれるので、毎回めんどくさいなと思いながらも、生理は46日目くらいだったので伝える。(いつも不順なのでこのくらいは当たり前)そうすると妊娠の可能性を疑うので必ず尿検査がある。尿検査がって自費だからやっても意味のないものを毎回やらないでくれと思ってたけど、仕方なく受ける。


するとなんだろう、いつも空振りの日は診察室へ呼ばれるのに今回は内診室へお呼びがかかった。なんだ?と思ってたけどエコーをかけられ、内診の先生に陽性ですねと告げられた。


心積もりもなにもないので何が陽性なのか頭がはてな?である。写真をみせてくれて胎嚢が見えた。全く実感のない宣告だった。


これはメトグルコの効果なのか?
院長先生はメトグルコだけでも妊娠する人もいると言ってたけど。
手術をした成果?
それとも漢方?

不明だけど妊娠に向けて食生活もかなり見直していたので、きっとベストなタイミングが重なったんだろう!

一回目の妊娠は大変な手術を乗り越えた甲斐があって妊娠に繋がったんだろうと思って良いだろう!という結果でした。



先生曰く、多嚢胞性卵巣の人はメトグルコを飲んでいるだけで妊娠する人もいると。


職場でメトグルコは糖尿病の薬で処方があるので見慣れてはいたけど、飲んで大丈夫なのか?疑問を持ちつつ、、糖尿病の人と比べても量が違うから大丈夫かと理解。念のため低血糖を防ぐためブドウ糖も毎回頂いていた。


飲んでみても低血糖症状にはなったことはなく、ブドウ糖のお世話にはならずに済んだ。

会社にある薬の辞書を見てみると確かにメトグルコの所に多嚢胞性卵巣の文字が。でも適応外らしく薬代は自費だ。でもそんなに高くなかったので良かった。

とりあえず飲みながらタイミング法。ここの先生は大体の統計で排卵日近くになったら受診を告げられる。14~16日目に来てくださいという紙を渡されるんだけど、45日周期位の私にはこのタイミングあってるのか?といつも疑問を持っていた。当時は内診の先生が別にいて診察が院長先生だった。ということはその時のエコー写真一枚だけで院長は情報を獲て判断していたんだなと。今思うとそれって十分な判断材料になってるけ?と思ったりするんだけど。

けど、その3日間の中で休みが当てはまらないと受診は難しい。でも仕事をしている以上は少し排卵から外れても仕方がないと思って13日目に行ってみたりあえて自分のタイミングに合わせて17日目に行って先生に怒られたりしていた。それでもいつが排卵日なのかあまり分からず、無駄なHCGを沢山打たれた思い。排卵検査薬では薄くしか反応しなかったり、排卵さえしていないのかもと自分でも諦め半分で通院していた。
てなわけで、また1からの不妊治療が始まりました。


もう立派なオペを経験してきたので、堂々と不妊治療の門を叩く準備ができていた私。でも病院選びは未知のもので、口コミや風の噂にしか頼ることはできません。


前にも書いた通り、私の地域では高度生殖医療病院が3箇所しかありません。初めに訪ねた所は女医さんを目当てに言ったけど感情の起伏が激しい…。私にはとても合わない。それに肝心な不妊治療の口コミがほとんどない。これは致命的。

残りの2ヶ所だが、1つは激混みと聞きていた。場所も外れてるし厳しいかな。消去法でいくと残る1つ。ここは当痔分娩まで行っていてご飯が美味しいと産科は評判だった。婦人科では体外受精で実績がかなりある剛腕Dr.。自分の意見を伝えなられないときついと口コミ多数。
それでも場所的に通いやすいかなと判断して最後に残る1つのクリニックに通うことにした。


こちらは予約無しの順番制。朝は 9時からだけど先生は産科の患者さんを見てから外来にくるので、いつも大体30分押しで診察が始まる。先生は声が大きくて外来に降りてくると、大体スタッフに強めの指示出しをしながら診察室へ入るのですぐ分かる。スタッフへの指摘は患者を前にしても良くあることなので、厳しい面もありながら患者ファーストで考えてくれてるなとも実感できていた。
院内にはどんな方法で妊娠に至ったかを含めた妊娠実績が掲示されていて、実績は間違いないと安心できるツールであった。


ここでもまた少し検査をして私の場合は多嚢胞性卵巣であることからメトグルコが処方された。それを飲みながらタイミング法から始まった。



ICUにて。周りがやっと明るくなると後もう少しの辛抱だと言い聞かせながら一般病棟移る時を今か今かと待ちわびる。


そうそう、寒い寒いの連呼で熱も下がらなかったので点滴で解熱剤を投与してくれていたんだと思うけど、朝方位にはマシになってきて。


ICUにいると、容体に変化はないか定期的にチェックがある。瞳孔確認、意識レベルが低下していないかをみる為名前を確認される等だったかな。少し余裕が出来た頃、隣のベットの方であろう女性にチェックが入った。話を聞いてると脳梗塞系で倒れてオペをした方らしい。倒れる前の記憶がないそうだ。私の母もそうだったな。重症の方もいるのだから、こんなことで辛いなんて言ってられないと思わされた。


病棟に移れるのは10:00と聞いていて、日勤夜勤のスタッフ入れ替えミーティングが聞こえてくると後もう少しだなと、周囲の雰囲気で感じ取っていた。



ようやく病棟に移れるる時が来たー!
担架での移動はやはり気持ち悪い。。
でも一般病棟に戻って普通のベットに移れた時は有り難かったな。

まだごはんも食べられずベットも0℃の倒れたままだけど少しずつ回復できるように頑張ろうと思った。


それから5日間位熱が下がらず毎日ロキソニンに頼っていました。それから毎日尿量を計り、地獄の水分制限が待っていた!


朝イチの採血の結果でホルモンの値をみて水分量が決められる。

私は2日連続で水分摂取無しを宣告された(泣)


これがまた辛くて辛くて。

しかも病院内って乾燥してるじゃない!
もう、唯一の頼みはうがいでした。

徐々に熱も下がりベットも少しずつ起こして良いと指示があり、視界が戻ると生きた心地がした。ごはんが流動食から始まるわけだけど、鼻タンポンがあると上手く飲み込み出来ない。味も感じられないし。それが鼻タンポンが抜かれた時はこれまた我に戻った瞬間でした。ご飯が美味しく感じて嬉しい!


術後のプロラクチンの値は変動があったけど、異常な高値ではなくなった。


そんなわけでひとまず退院の時を無事に迎えました。それから4ヶ月位は脳神経外科に通い、妊活再開の許可を頂きました。