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人生を取り戻すブログ

若者・中高年のキャリアを支援するブログ


  ブリッジスはトランジションプロセスを
「終わり」「ニュートラルゾーン」「始まり」というメタファーで表現した。

 
  そして 「何か」を手放さないと「新しい何か」は得られないという。


  「終わり」とは「何か」を手ばなすことで、「ニュートラルゾーン」はその「猶予期間」「始まり」は「新しく得ること」ということだろうか。

  
   この本でブリッジスは、キューブラー=ロスの「悲嘆のプロセス」否認、怒り、取引、抑うつ、受容を例にとって、トランジションのさなかにある人々が、徐々に自分自身を集団の中の一人としてではなく、一個人として捉えていくプロセスを「喪のプロセス」と呼んでいる。


  さらにこの「終わり」から「ニュートラルゾーン」への移行期間を「離脱」「解体」「アイデンティティの喪失」「覚醒」「方向感覚の喪失」の5側面からとらえて説明している。


  転機の最中にある人は、収入や環境の不安もあるだろうが、一番苦しいのは、やはりアイデンティティ喪失ではないだろうか。


  自分にもこんな時期が確かあった。

  
  この時期はほんとに辛い


「もはや自分が何者であるのかわからない」状態だ。


  こんなときにどのような支援ができるだろうか。


  できることは、次に来る「ニュートラルゾーン」を何も言わずにただ共に在り続けることかもしれない。


  

  
  
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 トランジションと言えば、ナンシー・K・シュロスバーグが有名だが、このウイリアム・ブリッジスのトランジションを理解するとシュロスバーグの理論への理解がさらに深まると思う。 

 
 トランジションという言葉は日本語では、転機、移行期、転換期などと訳されているが、私の個人的な解釈では、移行期と読むのが近いと思う。
 そして、転機には状況の変化と心理的な変化があるが、後者を主にトランジションと呼んでいる。

 ブリッジスはトランジションを

 「終わり」 ― 「ニュートラルゾーン」 ― 「始まり」
という一連のプロセスでとらえている。
 「終わり」から始まって、「ニュートラルゾーン」を経て、そこを抜けると新たな「始まり」が訪れるというものだ。
 
 一つの時間軸で捉えられるので、経験的にイメージしやすいのではないだろうか。

 シュロスバーグは
 「イベント(ある出来事が起こること)、ノンイベント(予期したことが起こらないこと)」と「その結果としての生活/人生の変化」というプロセスを提唱しているが、「イベント、ノンイベント」を「終わり」と置き換えれば、「その結果としての生活/人生の変化」のところを「始まり」に置き換えることができるかもしれない。あくまでも私の解釈。

 ブリッジスはトランジションは「終わり」から始まると言っている。
「終わり」が始まりとはおかしな感じがするが、何かが始まれば、同時に何かが終わるという事を表しているということだろうか?
   そして、ほとんどの人が新しい「始まり」についてはふだん意識しているが、ことさら「終わり」についてはあまり意識していないことが多いということだ。

 ではトランジションを体験している人にとって何が問題なのだろうか。

 今の状況の変化が整理できなくて前へ進めないことが苦しく辛いのではないだろうか。
 「終わり」をうまく処理できないことが問題だとブリッジスは言っている。

 そしてそれはトランジションプロセスの最初の局面であり、自己再生の前提条件だという。

  続きます。



 

 

 

 

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  およそ25年前に購読した本。
  

  最近のブームに乗っかって、もう一度読み直している。


  カバーが破れているのは、古い本だからではなくこの間ひっかけて破ってしまったのだ。


  
  読み進めると、いろんなところにボールペンで線が引いてあるのを見つける。
  当時と今では気になるところが違うことに驚いた。当時は、「支配欲」や「劣等感」というキーワードに惹きつけられていたようだ。「共同体感覚」のところはスルーしていたみたいだ。あんまり線を引いてないし。



  もっとしっかり読んどけばよかった…



  それでも若い頃、夢中になって何かを掴み取ろうと必死になっていた自分がいたのを思い出す。



  この本はアドラーが1926年にウィーンで行った講演の速記を整理したものらしいが、今読んでもとても示唆に富んだ内容になっている。


  ライフスタイルは目的目標に基づいた未来志向のライフストーリー(決して明るい前向きのものだけではない。後ろ向きなんてない。すべての行動が目標目的を持った前向きの行動なのだ。)ともとれるし、共同体感覚はもともと言語の獲得がそうであるように、そもそも人間に備わった生得的なものだとも言っている。また原因-結果の決定論以外の見方を提示するなど、 90年前にすでにこんなことを考えていたのかと感服する。


  若い頃は難解で読み飛ばしていたところも今では多少理解できたりもするから年とったなあとも思う。


  それでも、まだまだ読み込む価値はありそうだ。


  
  ※あくまでも個人の感想です。
  解釈が間違っていたらごめんなさい。