「かつてのモーレツ社員という考え方」とはどんな考え方なんだろうか?
どんな人がモーレツ社員で、どんな人がモーレツ社員じゃないのか。
そしてその考えを否定するとは?
どうも現場のことをよくわかってないような感じがする。
残業して頑張っている人がすべて自分のためだけに頑張っているわけではない。
現場では日々、さまざまな問題が起こっている。
それらに対処するためには残って処理しなければならない時もあるのだ。
しかも問題によっては長期化することもある。
そんな現場を寝ずに支えている人たちがいるのだ。
今までの社会もそうやってなんとか保たれてきたのではないか。
仮にモーレツ社員が自分のためだけ利益を上げたとしても、会社の利益につながりその他の社員が潤う可能性もある。
まだまだいろんな状況が考えられるが、要はモーレツに働くこと自体は良い面、悪い面両方あるということだ。
だからそれを否定するのではなく、それはそれとしてよい面を残しつつ、もっと別の角度から働き方を考えていかないといけない。
では今、残業することでいったい何が問題になっているのか。
わたしは、やっぱり関係性の問題だと思う。
夜遅くなったら、次の日目が充血するのは当然だ。しない人はどんなケアをしているのか知りたい。またどんなに疲れていても、あたかも何もないようなふりをしてスーパーマンを演じることを求めているのか?
いったいなんのために?
遅くまで仕事して無駄なことなど一切ない。何かしらの学びがある。
そういったことが見えてないのか、見えないふりをしているのか、どちらにしてもそのときどんな言葉をかけるのか?
以前にこのブログでも引用したが、ガーゲンの『ダイアローグ・マネジメント』という本に、3つのシナリオとい考え方がのっていた。
一つは継続のシナリオ、日々のあいさつや世話話など、決まったやりとりのことだ。これは関係性を維持する。
二つ目は、生成のシナリオ、対話者双方がお互いに貢献しあい、ともに新しいものを創り上げていくようなシナリオだ。
そして三つ目が、退化のシナリオ。
一方的な意味の押し付けや、人格否定、罵り合い、売り言葉に買い言葉など、人間関係はどんどん悪くなり、その場では誰かに軍配が上がるかもしれないが、戦争のメタファーを採用している限り、最終的に自分を締めるだけだ。
今の日本の文化には、確かに人を殺す言葉、活かす言葉がある。
ただの言葉と言ってしまえばそれまでだが、それだと誰も人の話を真剣に聞かなくなる。嫌なことを言われても、無視して聞き流せばいいのだから。
しかしそれではお互い薄い関係しか築けないだろう。
仕事もうまくいかないだろうし、喜びも半減するだろう。
そもそも子供の頃から上司や親や年上の人の話は素直に聞くものだと教えられている。
本当だろうか。
それはいったい何を意味しているのだろうか。
自分が感じたものを否定して、他人が感じたことを受け入れろということだろうか。
とにかく、そうした文化もいずれ変わっていくだろうし、変えていかなければならないと思う。
しかし、それまで待てない。
これ以上犠牲者を出さないために、もっと踏み込んだ議論をするために、どんな言葉を紡いでいくのか真剣に考えるときだ。