ということは、どんな関わりであっても無いよりマシだということです。
私も、無視されていた時は、「なんでもするから、謝るから、とにかく仲直りして欲しい」と手紙に書いたくらいです。
今となっては、すごく恐ろしいことをしていたものだと思います。
その手紙は恐らく読まれずに破いて捨てられましたが、もしもその時、「なんでも言うこと聞くんだな?」と言われていたら今頃どうなっていたことか。
私は幸い(?)無視と「死ね」とか「馬鹿」とかの落書きで済みましたが、一つ間違えば最近の悪質な無理難題の強要や身体的な暴力によるいじめに発展していてもおかしくはなかったと思います。
それほどまでに、子供にとって孤独というものは恐怖に感じられるのです。
大人は嫌ならその場を離れても生きていけますが、子供は簡単に離れることができません。
嫌なことがあっても、数年間はその学校で過ごさなければならないのです。
いつ何をされるかわからない恐怖を抱きながら何ヶ月も何年も耐えなくてはいけないのです。
そんな状況で可能性を信じて前進する力を備えた子供が育つでしょうか。
比較的軽度で済んだ私ですら苦労しました。
人と接するのに細心の注意を払うようになりました。人の気持ちを害さないようにいつも言動に気をつけていました。もし、気分を害するようなことがあるとすべて自分の責任だと思って、いつも謝ってばかりいました。息を殺してできるだけ気配を消そうと努力しました。いつしか初対面の人とは話しもできないほど人見知りになりました。
もちろんすべてが無視されたことによるものではないことは明らかです。
過去の経験や、その他の環境要因が影響していることは確かです。
しかしその経験をどのように評価するのかはある程度本人次第のところがあります。その経験の評価に基づいて世界がつくられます。
私は自分が人から好かれない人間だと思ってしまっていました。だから私に好意を持つような人は、よっぽど人を見る目がないか、何か裏があるのだろうと、ひねくれた考えで人を見るようになっていました。
それによって失ったものははかり知れず。今となっては悔しさが残ります。
また逆に結果的に良かったこともあります。
そのグループと縁が切れたことです。どんな理由があれ、人を仲間はずれにするような人達とは付き合わなくて正解だったと思います。
グループから外れることで客観的に人間や組織を見る目が養えたと思っています。
なぜいじめが起きるのか、はっきり言って原因はよくわかりません。ケースによってまちまちだと思います。様々な説があります。
では、どうすればいいのでしょうか。