お空へのぼって一年です。 | 井坂茜ブログ!あかねこ★進化論*。
『ひめゆり』のお稽古が進んでいる中
お休みをいただいて、
祖父の一周忌法要のため
香川へ帰っていました。

昨年の今頃、
つまりもちろん『ひめゆり』のお稽古中で
あまりご心配をおかけしたくなかったので
ブログなどに書いていなかったのですが、
父方の祖父が亡くなりました。

それまで祖父母がみんな健在でして、
はじめて近しい身内が亡くなったので
20代後半にもなって
「人は、いつか死ぬんだ」
というのを本当に思い知った感じでした。

大正13年生まれのおじいちゃんは
いつもにこにこでお肌もぴかぴかで
しっかりお喋りをするおじいちゃんでした。
戦時中は二等兵で、大阪の堺で
見張りの係をしていたそうです。
「B29がきた!」と叫んで
一目散に防空壕に入っていたそうです。
もっと当時のことを聞いておけばよかったな、
と少し後悔しています。

私が大人になってから会いに行くと
いつも舞台の仕事のことを聞かれました。
ちゃんとお給料はもらえるの?とか、
いつまで舞台の仕事をするの?とか。
たぶん早く辞めて結婚して欲しかったのだと
おもいます(笑)
でも、
昨年はじめて『ひめゆり』に出る決意をして
ひめゆり学徒隊のミュージカルに出るよ。
とハガキを出したらとても喜んでいたそうで、
何度も読み返していたから棺に入れようね。
と叔母さんに言われました。
ちょっと嬉しかった☺️

昨年の『ひめゆり』は
ひと席だけおじいちゃんのお席をとりました。
(空席にしてしまってごめんなさい)
今もチケットはお仏壇にあります。
今年は、お空から観てくれるかと思います。

昨年の8月に四十九日で帰った時、
おじいちゃんの家のすぐ近くにある
神社へお散歩に行きました。
そこに、戦時中の
海外開拓者の方の慰霊碑や、
少年飛行兵の慰霊碑があります。





少年飛行兵は、つまりは特攻隊です。

お参りしたくて行ったのですが、
ちょうどその時にお掃除に来ていた
腰の曲がったおじいさんに出逢いました。
おじいさんは、特攻隊の生存者の方でした。
「遺族でもないのに熱心にお参りしてくれて
珍しい若いひとだねぇ」と言って、
お掃除用具を片付けてある倉庫に
案内してくださいました。
その倉庫は、資料館でもあったんです。
少年飛行兵の方のお写真や、勲章や、
生存者の方々の集合写真など。
貴重なものをわたしに見せてくださいました。

これもおじいちゃんが繋いでくれた
ご縁かなぁなんて感じました。
今日も行って来たんですが、
今日はお会いできませんでした。

おばあちゃんととても仲がよかった
おじいちゃん。
おばあちゃんも今は施設に入っていて
喋れないし、自由に動けないし、
ひょっとしたらいろんなことを
忘れてしまっているかもしれません。
でも、おじいちゃんの話をすると
手を握り返してくれます。
わかってるんじゃないかな?と
わたしは思っています😊

命を繋いでくれた
おじいちゃんおばあちゃんに
ありがとうの気持ちでいっぱいです。

お空でもにこにこだといいなぁ。



明日からまた『ひめゆり』がんばります!




井坂 茜