大人になると...立場をわきまえるということは大事である。
というより、複数の立場を使い分けるようになるというのが
大人になるということなのではないかと思う。
子どものころは、安定した家庭や学校に守られていれば、
親せきや近所の人も自分を知っているから
どこに行っても「自分」のままで通用する。
複雑な家庭環境に育った子が大人びているのは...
「自分のまま」が通用しない場合があることを知っているから。
習い事やクラブ活動、地域活動、受験によって
少しずつ世界が広がって行って...
自分の立場が場所によって違うことを学んでいくのだと思う。
大人になると、職場の自分、地元の友達の中での自分、
大学時代の友人の中での自分、家庭での自分、
実家での自分、義理の実家での自分...
周りの人の中でどのような位置づけにあるのかを考え、
色々な自分を使い分ける必要がある。
これは決して自分を押し殺すということではない。
でも、常に自分の思ったことを思ったとおりに
言ったりふるまったりするのではなく、
その場に応じて必要な役割を果たす
というのが大人の振る舞いというやつなのだ。
と、私は思う。
これは、私が生きてきたプロセスで感じたこと。
そして、この人はそれがわかっているのか?
わかった上での言動どうか?
それは「言葉使い」でわかる。
と、私は思う。
これは主に後輩を観察していて思ったこと。
たとえば、「何か手伝いましょうか?」と言う人は
少なくともいまいる場所に自分がやらなくてはいけないことがある、
とは思っていない人の主体性のない言葉である。
責任は持てませんが気は配ります、という立場の時の言葉だ。
だからもし、ダーリンが家で「何か手伝おうか?」などと言ったら
家事に対して責任を持っていないという態度が丸見え。
家で奥さんが休みの日に「何か手伝おうか?」と言ったとしたら...
その言葉に違和感を感じるとすれば...その違いは責任感の有無だ。
しばしば、頑張る奥さん・お母さんが
「夫が家事を手伝ってくれない」「育児を手伝ってくれない」と
言っているのを聞くけれど...手伝ってもらおうもしくは
手伝おうという感覚(立場)を求める所から見直した方がいいかも...
あとは「良いと思います」とか「問題ないと思います」とかも時には危険。
良いと判断するのはだれか?問題ないと判断を下すのはだれか??
自分がそれを言ってよい立場なのかどうかをよく考える必要がある。
とっさの時に立場をわきまえない間違えた発言をしないよう
(もしくは、この子こういう気持でいたのか...と見透かされてもよいよう)
常に、自然と立場を考えられるような大人になりたい、と思う。