ネバダ州ガトリンのトウモロコシ畑内に住むジョシュとイーライの兄弟。
暴力癖のある父親に殺されんばかりの勢いで追いかけられたジョシュはイーライと逃げようとするが、イーライは彼を先に逃がし、やってきた父親に何らかの呪文を呟く。
するとトウモロコシ畑から瞬く間に蔓が伸び、父親は『かかし』として殺されてしまうのだった。

それから数ヶ月。
ジョシュとイーライは養子縁組制度からシカゴにあるトウモロコシの貿易商ポーター夫妻の養子として引き取られることとなる。
明るく接するジョシュをよそに不気味な雰囲気を醸し出すイーライに妻のアマンダはただならぬ気配を感じるのだった。

近くの共同学童施設に転入した彼らは片時もジョシュから離れようとしないイーライのおかげでトラブルがおきるも、ジョシュは学校内の雰囲気に次第に慣れ始め、マリーというガールフレンドもできていた。
そんな彼をじっと眺めるイーライ。
しかも彼はミサの時間における司祭の言葉に反論し悪魔の言葉を口にする。

その一方でイーライは家の裏でトウモロコシを作っていた。
禍々しい妖気を漂わせるその実は瞬く間に成長し、不用意に近づきその実をむしりとった浮浪者を栄養にしながら彼の言う『収穫の日』を静かにまっていた。
イーライはその実を学園の給食に混入させ自身の悪魔信仰を過激化させていく。

イーライの不気味な行動に不安を覚えたアマンダは夫ウィリアムスに不審な行動に気を付けるよう警告するのだが、ウィリアムスはイーライの育てるトウモロコシの質の高さと育ちの早さに注目し、このトウモロコシを世界中に輸出しビジネスチャンスにしようと考えていた。

アマンダは独自に調査を依頼しイーライの正体を探ろうとするのだが、その矢先に彼に気づかれ、彼女は無惨な死を遂げる。
更にイーライは自身の正体を探ろうとする人間を次々と惨殺していく。

そして学園内にも多大な変化が。
彼のトウモロコシの実を食べた子供たちはイーライのもとに集まり司祭のミサにも何の反応も示さず、日夜イーライの唱える不気味な言葉に耳を傾け、異様な空気感に包まれ出す。
ジョシュとマリーの兄テリーはそんなイーライの様子に言い様のない恐怖を覚えるのだった。

そんなある日、ジョシュはアマンダ宛の封筒を手にする。
そこには生まれているはずのない年代の陰惨な殺人事件の記事。そこの写真には明らかにイーライの姿が写っていた。
彼が恐るべき悪魔の使者であることに気づいたジョシュはテリーと共に司祭に協力してもらおうとするが、司祭は既にイーライによって惨殺されていた。
司祭の間際の言葉により、彼の弱点である悪魔の教典を探しに故郷のガトリンへと向かうジョシュたち。

その頃イーライの毒牙はマリーにも向けられていた。
彼女を操り、彼女の両親をトウモロコシの実によって惨殺したイーライは来るべき『収穫の日』の夜に学園の子供たちを一同にあのトウモロコシ畑に呼び出す。

一方、ガトリンについたジョシュたちはかかしとなって死んでいる父親の遺体の足下から悪魔の教典を発見する。
しかしその瞬間父親の遺体が二人を襲い出す。
かろうじてこれを撃退するのだが、トウモロコシの蔓に襲われたテリーは無惨にも引きちぎられて絶命。命からがらジョシュはその場を去る。

『収穫の日』の夜。イーライは遂に悪魔復活の儀式に取りかかる。
操っていた子供たちの前で酔っぱらってきたウィリアムスを鎌で惨殺。
だがその時ジョシュが教典を持って現れる。
イーライの正体はトウモロコシを介して大人たちを皆殺しにする悪魔の化身であり、教典と一心同体なのであった。

襲いかかるイーライの魔力に苦戦しながらもジョシュは教典ごとイーライを串刺しにする。
霧散となり正気に戻る子供たち。イーライの野望は潰えたかに見えたが…

オカルト的雰囲気を醸し出しているSF スプラッターホラー作品。

元は恐怖作家スティーブン・キングの小説『トウモロコシ畑の子供たち』を原作としており、それを映画化した『チルドレン・オブ・ザ・コーン』シリーズの第3作目にあたる。

シリーズを通して描かれるのは悪魔の化身である子供が大人たちを容赦なく殺戮していくホラーで、スペインで作られた子供たちが殺人鬼というスラッシャーホラー、『ザ・チャイルド』に起因しており、そこにキングらしいオカルトテイストの空気感を取り入れた作品である。

前二作では牧歌的な片田舎のトウモロコシ畑を舞台に悪魔の子供が大人たちの皆殺しを図る物語だったが、本作でその悪魔の種子は大都市に舞台を移動。
より現実的な恐怖感を狙ったものとなっている。

本編での悪魔の子『イーライ』はその佇まいや雰囲気から『オーメン』のダミアンを彷彿させるような感じで、物語の後半までは彼の正体を探ろうとした人間が神出鬼没なイーライによって次々と惨たらしい死を迎えるというオカルトホラーテイストが見所。

イーライの殺害方法はダミアンに負けず劣らず残酷なもので、鍵となるトウモロコシの実は彼の魔力によって何とゴキブリに変身する。
知らずに食べた人間は体の内部からそのゴキブリに食われ、惨たらしい死を遂げるのである。

このあたりの残酷描写は非常に見応えがあり、特殊メーキャップを担当したスクリーミング・マッド・ジョージの高い技術力が分かる。
彼はことのほか残酷描写にゴキブリを多用するところがあり、マリーの家族が犠牲になるシーンではもがき苦しみ床に倒れた母親の頭が真っ二つに割れてそこから大量のゴキブリが這い出すシーンはトラウマものの気持ち悪さ。
また蔓によって首を脊髄ごと引き抜かれるというエグいシーン、蔓に追われたアマンダが転倒した先の給水菅に後頭部から刺さって口から水と一緒に血を噴き出すなど一癖加えたショックシーンを見せるクライマックスまではかなり良質なオカルトスプラッターホラーである。

ただ問題はクライマックス。
正体を現したイーライと教典をめぐる戦いまではチープなSFX ながらまだ盛り上がりはあるのだが、イーライが真の正体を現すシーンが今までの雰囲気を帳消しにするくらいブッ飛んだものと化している。

教典と共に滅んだように見えたイーライは何とトウモロコシとネズミと怪獣をミックスさせたような巨大な怪物の姿となり、正気に戻った子供たち相手に大暴れ。
蔓を使って鎌をぶん投げて次々と串刺ししたり、丸呑みしたり、蔦で女の子の股間を頭まで貫いたり(この役が何と後のシャリーズ・セロン(笑))とまるでウルトラ怪獣みたいな感じで、オカルトの雰囲気も消えるほどの展開の変わりっぷり。

パニックホラーとしての狙いもあったのだろうが、それまでの禍々しい感じの作風が一転していて、だいぶ原作との解離も激しいことだろう。
娯楽性からしたらそれはそれで正解かもしれないが(^-^;

ラストのいかにも続きますよ的な展開からもわかる通り、本作以降も続編は続き、何と都合7作目まで作られているという。
今後の悪魔のトウモロコシの展開が気になる所ではある。

残酷度…★★★★★

評価…★★★★
(クライマックスに怪獣映画にならなければ統一感があって良かったのかも。賛否分かれるとこですが(^-^;)