昭和19年11月29日、日本海軍最大の空母「信濃」が米潜水艦の魚雷攻撃を受けて撃沈されました。今回の作品は、1/700 空母「信濃」です。11月19日の竣工から、たった10日で海に消えた幻の巨大空母の最期をその目で目撃された、元駆逐艦「雪風」乗組員の野間光惠さんの証言もあわせてご紹介致します。
キットは、フジミの1/700 の 艦NEXTシリーズのフルハルモデルです。接着剤と塗装の要らないキットという売りですが、そのまま組み立てると、やはり違和感がありますので、付属のシールは使用せず、塗装を施しました。
野間さんは、雪風の艦橋から、信濃の最期を看取りました。
元駆逐艦雪風乗組員の野間さん(90歳)の証言です。「信濃がやられたのは、未明、夜明け前の、1番警戒が手薄な時間帯。
その時間、交代で、仮眠をとっていた野間さんは、午前3時頃、ドーンドーンという数発の爆発音に飛び起き、軍装に着替え、慌てて艦橋へ駆け上がる。当直の人に「どのフネがやられましたか?」と尋ねると、「暗闇で、どれがやられたか、わからん。磯風か、濱風か、信濃かのどれかだろう。」
やがて、艦長を始め幹部が艦橋へ上がって来て、戦闘配置に着くよう指示を出す。艦内は慌ただしく、緊張感に包まれる。やがて夜が明けて、辺りが見えて来ると、右舷に大きく傾いた、断末魔の「信濃」の姿があった❗みるみるうちに傾斜が増し、甲板の乗員は人間の心理上、上へ上へと逃げようとする。信濃には、まだ作業員が多く乗り組んでおり、訓練された兵隊はあまりいなかった。1番上の左舷の端は、かなり高い位置になり、海に飛び込む事は出来なくなる。すると横倒しになった広い飛行甲板を、たくさんの乗員が滑り落ちていくのが見える。信濃を、駆逐艦3隻で、曳航しようと、ワイヤーロープを架けて引っ張る事を試みたが、何しろ相手は七万トンの空母、僅か二千トンの駆逐艦が3隻束になっても、逆に引きずり込まれてしまう。曳航は諦めざるを得ない。やがて、横倒しとなって、信濃は転覆した。海に投げ出された乗員の多くが、巨大な煙突に、海水ごと吸い込まれて行った。沈んで行く信濃の、バルバスバウがはっきり見えた。
信濃が沈没した海面には、震洋という、モーターボートのような特攻兵器の残骸がたくさん浮かんでいた。」
という事です。
信濃を守り切れず、悲痛な状況を抱え、呉に入港した、雪風はじめ3隻の駆逐艦。
呉に到着した3隻の艦長は、指令部に呼び出され、かなり叱責を受けたのでしょう、寺内艦長は、艦に戻ると、帽子を床に叩きつけて、「だから、夜は危ないと言ったんだ!」と 怒り狂っていたそうです。あれほど激怒した寺内艦長を見たのは最初で最後でした。
それでは。