朱印が有名な、千葉県野田市最古の社【櫻木神社】 | 心霊スポット散策

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今回は、千葉県野田市最古の社 櫻木神社に行ってきました。

櫻木神社は、朱印がきれいで有名なパワースポットなんです。

通常の御朱印と、限定御朱印があり季節ごとに楽しめるようになっているようです。

御朱印ブームもあり、御朱印を求めて沢山の方がきているようです。

 

櫻木神社は、住宅街の中にありカーナビの案内でいくも少し迷ってしまいました(笑)

道幅もそこまで広くないので大きな車で行くのはあまりお勧めできません。

電車でいかれる方は、東武野田線(アーバンパークライン)の野田市駅から、徒歩12分らしいので比較的アクセスのしやすい場所にある神社です。

 



駐車場には大鳥居があります。

大鳥居をくぐって竹林の静かで涼しげな参道を歩きます。

竹林内には脇道があり、そこにも祠?がありました。

 



櫻木神社は、野田市最古の社なんです!!

社記によれば平安朝の仁寿元年(西暦851年)に大化の改新(たいかのかいしん)で活躍した、

大職冠藤原鎌足(たいしょっかんふじわらのかまたり)公五代の後胤で冬嗣公三男の嗣良公(諸説あり)が、

この地に居を移した時、この処に桜の美しい大木があり、公がこれの木のもとに倉稲魂命を祀り、

その後武甕槌命(タケミカヅチ)の神を祀ったのが始まりであると伝えてられています。 

櫻木神社は、「倉稲魂命」穀霊としての福神ふくのかみ)とし、「武甕槌命」勝運・開運・吉運の守り神、「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」生命の祖神をお祀りしているとのことです。

 



※穀霊とは、穀物に宿り,これを生かしている精霊・霊魂のことをさすようです。

イネの精霊・霊魂(稲霊・稲魂)が、人間と同様に誕生(発芽),成長,成熟,死(枯死),再生の過程を繰り返すとの観念に基づいているようです。

 



 さくら咲く 櫻の宮に詣づれば大神の恵みいただき大願開花・・と全国各地より多くの方が参拝に訪れているようです。

 また、厄年祓い、結婚式、お宮参り、安産祈願、七五三、地鎮祭、上棟祭など祈願も承っているようです。

 



櫻木神社の名前の通り、境内には約30種類400本の桜があります。

秋にも十月桜が咲くらしいので、春だけでなく楽しめるようです。

 

境内は、かなり整備されていてきれいでした。

 

生絞りのオレンジジュースの自販機を始めてみました!!

面白そうなのでかってみました!!

 

 

櫻木神社では、「学問の神様」と慕われる菅原道真公のご神徳をいただかれ、合格祈願、必勝祈願もできるようです。

都市伝説好きな人からしたら、日本三大怨霊の菅原道真が祀られていて大丈夫なの!?と思われる方もいるかもしれません。

今では菅原道真と聞いて、日本三大怨霊よりも「受験・学問の神」として認知されていると思います。

怨霊から神様に変わってしまうなんてすごい人ですよね!!

 

 

菅原道真が怨霊になった経緯

菅原道真は、右大臣になり、貴族からの嫉妬、ライバル藤原時平の陰謀により太宰府へ左遷される。

左遷され2年後に死去します。

その後、裏切った弟子が雷に打たれ死亡、ライバル藤原時平が急死、保明親王が21歳の若さで亡くなります。

そのうえ、洪水、長雨、干ばつ、伝染病など変異が毎年のように続くようになり、「道真が怨霊となり、祟りをなしているのではないか」と噂されだします。

 

醍醐天皇は、大宰府行き左遷を命じた勅書を破棄します。
その地位を右大臣に戻したうえ正二位を追贈します。

 

その後、新たに皇太子となった保明の子・慶頼王も、5歳で亡くなります。
御所の清涼殿に雷が落ち、大納言の藤原清貫と右中弁の平希世が亡くなります。
これに衝撃を受けた醍醐天皇は体調を崩し、皇太子の寛明親王(保明の弟)に皇位を譲り、その年のうちに崩御してしまいます。

 

そして、道真の祟りについても、教科書にも載るようになります。
高校日本史の『新日本史B』(桐原書店、2005年)には、菅原道真の怨霊の話が「菅原道真と天満宮─貴族の御霊神」と題するコラムとして掲載されているようです。
近年は、中学校の歴史教科書にも、道真の祟りを載せるところが多いようです。
例えば『社会科 中学生の歴史』(帝国書院)には、半ページを使って大きく『北野天神縁起絵巻』(北野天満宮蔵)を載せ、キャプションとして「藤原氏によって大宰府に追いやられた菅原道真は、903年、無念のうちに亡くなりました。
当時の人々はその霊が雷神となって都に戻り、藤原氏のいる清涼殿に雷を落としたと信じました」と記載されています。
さらに、道真の肖像を載せた「右大臣から学問の神様へ」というコラムを設け、「彼の死後、天変地異が続いたため、天神信仰発祥の地である北野天満宮にまつられ、今でも学問や芸能の神様として信仰されています」と記されているようです。

 

そして、学問の神へ、、、、

942(天慶5)年、平安京の右京七条二坊十三町に住む多治比文子に、道真の霊が乗り移ったことがきっかけなんです。

文子に憑依した道真は自分を祀るように強く求めたという。

怨霊は、死してなお自己主張が強いですね!!
そこで朝廷は、平安京内の右近馬場の地に北野天満宮を創建することを容認する。

ちょうどこの時期、平将門の乱や藤原純友の乱などが続発している時代です。
北野天満宮は、学問の家柄である菅原一族が管理することになり、朝廷もこの神社を保護して勅祭の社にしたこともあり、繁栄するようになりました。

道真は生前、学問に優れていたことから、雷神という怨霊から詩文の神と意識されるようになり、鎌倉時代や室町時代になると、北野天満宮で歌合わせや連歌の会など文化的な行事が開催され、人々も学問や芸能の進展を願ってこの社に詣でるようになったようです。
ちなみに北野天満宮のほか、太宰府天満宮、大阪天満宮、亀戸天神、湯島天神、防府天満宮など道真を祀る神社は1万2000社になるという。
人々は、雷神という祟る怨霊を神社に祀り上げることによって、学問神という福の神へと変化していきました。

 

櫻木神社の紹介のはずが、横道にそれすぎてしまいました(笑)

櫻木神社は、きれいな神社で、トイレにはトイレの神様も祭って今いた!!

細かなところまで手入れの行き届いた場所です!!

御朱印集めされてる方には一度は行ってほしい場所です。